東京五輪の開催は、6年後の2020年だが、すでに巨額の強化費がtotoからも助成されている。東京都内には、体育大学が3校あるのだが、古くからの友人がその中の1校に勤めていて、先日たまたま食事をする機会があった。6年後の東京五輪に向けて、そうした体育大学に対しても強化の名目で予算が割り当てられているという。具体的な内容にまでは踏み込んで聞かなかったが、大学生はもちろん高校生くらいの若い競技者に対する栄養学的な講習などが行われているという。知識さえあれば、防げるケガはあるだろうし、重症化せずに治せる負傷もあるはず。そう考えると、2020年の東京五輪に向けた強化の一環ではあるのだろうが、必要な知識を若いアスリートたちが共有することは大事なことで、恒久化させてもいいようにも思う。もちろん、「必要な知識」の線引が難しいのかもしれないが。
それにしても、少子高齢化の昨今。各競技団体は子どもの奪い合い状態になっているという。その一方で、土日に試合をする子どもたちのサポートのため、保護者が現場に行くことが半ば強制されている現状があるらしい。たとえばサッカーをしたいと子どもが思っていて、なおかつ通っている小学校に部活があるとしても、週末の試合会場に親が顔を出して、送迎の手伝いといった一定の義務を果たせなければ、その親が白眼視され、さらには子ども自身も仲間はずれやいじめの対象になりかねないというのだ。ちょっと信じがたい話だが、同じ地域の複数の現役の親から直接聞いた話だから、まるっきりない話ではなさそうだ。親が白眼視されるとかは正直どうでもいいが、やりたいスポーツができない子どもがかわいそうで仕方ない。
学校教育の一環で、気軽にスポーツに接する機会を与えられる部活動は、昔はもっと野放しで週末に親が顔を出さないからといってその親が居心地が悪くなるようなことはなかった。更に言うと子どもの立場に親の存在など全く無関係だった。少子化の進行により、親がきめ細やかに行事に顔を出せる世の中になったということなのかもしれないが、子どもの部活なのだから、子どもがやりたいかどうかがすべてのはず。もちろん一定の親の関与は必要なのだろうが、それにしてもめんどくさい。
時代が変われば風潮も変わるということなのかもしれないが、プレーヤーズファーストであるべきで、スポーツをしたいと思う子どもたちがやりたいスポーツができないのであれば、それは仕組みが悪いと考えて間違いない。その一方で、2020年に向けた強化がある程度の実力がある選手たちに向けて行われている。それはそれとして否定しないが、親の存在とは無関係に子どもがスポーツに関わることができる仕組みや制度設計にこそ、予算が投じられるべきではないかと、そう思った。
週末が仕事な職種に就く親の子どもは部活ができないという理不尽な話が当然な世の中がいいとはとても思えない。近い将来「親不在でも部活できる法案」が成立し、この法案で救済された子どもたちの中からJリーガーや日本代表選手が出てきたら、それは生きた予算の使い方になるのは間違いない。色んなモノが多様化した現代社会ではあるが、親同士のややこしい関係はどうでもよくて、まずは運動したい子どもたちに運動ができる環境を与えられる世の中であってほしいと思う。そういう世の中こそ、豊かさが反映された社会なのではないかと思う。
ということで、私が担当する今年最後のtotoコラムは、真面目モードで終わりたいと思います。1年間、どうもありがとうございました。
2014.10.31 Reported by 江藤高志(川崎F担当)