少し前の話になるが、背番号17をつけて17シーズン、Jリーガーとしてプレーした櫛野亮選手の現役引退のセレモニーが、2013年11月17日の千葉のホームゲーム最終戦終了後に行なわれた。『17』尽くしのエピソードでJリーガー生活を締めくくる櫛野選手のサッカー人生は、さまざまなエピソードに満ちていた。
筆者が櫛野選手のプレーを初めて見たのは、1996年12月31日の全国高校サッカー選手権1回戦・水戸商業高校戦。大津高校の櫛野選手が1997年シーズンから千葉(当時は市原)に加入することを知って取材に行った。だが、試合開始わずか8分、水戸商業高のCKのボールを櫛野選手はファンブルしてしまい、こぼれ球から失点。前半のうちに同点に追いついた大津高は後半に一度逆転し、櫛野選手はゴール前のスペースに飛び出してフリーの相手選手のシュートを防ぐなどの好セーブも見せたが、結局、3−4で敗れた。試合後の平岡和徳監督の話によると、櫛野選手は大会前に右膝を痛めたうえに風邪もひいて体調は万全ではなかった。だが、報道陣を前にした櫛野選手はまず「自分のミスで失点して最初は引きずったけど、あとからはしょうがないと思いました。(好セーブについて質問されて)だいぶ自分のプレーができていたけど、シュートを防ぎたかったです」と話し、体調については質問されて初めて「いつもとは違っていたけど、それよりも雰囲気にのまれて冷静にできなかったところがあったし、自分のリズムに持っていけなかったです」と話してコンディションを言い訳にしなかった。ちなみに、その時の櫛野選手は背番号16をつけていたが、「背番号1はなんだか軽い感じで好きじゃないです」と言っていた。
本格的にGKをやるようになったのは中学2年生の時に遊びとしてやったのがきっかけで、それまではFWだったという異色のGK。それもあってか細かいボールコントロールが得意で、手首を負傷してGKの練習ができずにフィールドプレーヤーの練習に交じっていた時はとても楽しそうに笑顔でボールを蹴っていたのを覚えている。
言うべきことも言えないようなおとなしい選手が多い千葉の中で、自分の意見をしっかりと言える櫛野選手はチームに貴重な存在だっただろうし、率直に本音を話す櫛野選手は記者にも貴重な存在だった。自分に正直でマイペースな言動がもたらすエピソードの数々には驚かされ、笑わされ、独自性の強いものとしてよく記事に使わせていただいた。
例えば櫛野選手のJリーグデビュー戦(2000年のJ1リーグ1stステージ第3節)。当時の正GKの下川健一選手が退場処分となって急遽出場したのはPKの場面で、1−6の大敗にガックリしながら帰宅しようとしたら、駐車場の自分の車のタイヤがパンクしていたと聞いた。また、車好きで一時は値段が非常に高い車を何台も所有していたが、それには「俺はこの車を持つだけ稼がないといけないんだ」と自分にハッパをかけている部分もあったという。自分でミシンを使って洋服をリメイクするほどお洒落で「あんまり凝ると特殊なミシンが何台も必要になる」と言っていたこともあったし、「和菓子も洋菓子も大好きで、オフには『そんなに食べるの?』と言われるくらい食べることもある」というふうに、ちょっと強面な感じの外見とは似合わないような(笑)意外な一面もあった。結婚後に奥様の手料理で一番好きなものを聞くと、「味噌汁。どうせ作れないんだろうと思っていたら、すごくうまかったんですよ」とうれしそうに話していたのも印象深い。
本能系の選手に見られがちだが、海に近かった市原臨海競技場がホームスタジアムの頃は試合前にロッカールームの窓から風の様子をチェックしてプレーに生かしていたそうだ。以前に岡本昌弘選手のことをJ2日記に書いた際にも触れたが、岡本選手がユニフォームのソックスを膝上まで伸ばして履いているのは櫛野選手の真似で、櫛野選手曰く「膝を擦りむくのが嫌だし、ボールを蹴った時の膝の状態がよくて蹴りやすい」とのことだった。
常にいろいろなことを考えて取り組み、千葉がJ1で優勝争いをしていた時期にも正守護神として活躍したが、千葉のタイトル獲得(2005年と2006年のヤマザキナビスコカップ優勝)の試合は怪我のためにゴールマウスを守ることがなかったのは、本当に残念でならない。それでも、『フクアリの奇跡』と呼ばれた2008年のJ1リーグ最終節では、2失点したものの突然のスタメン起用に応えたファインセーブを見せ、千葉の逆転勝利、大逆転のJ1残留に貢献。試合後に話を聞くと「負けてしまったら千葉にいられないと思った。旅に出よう、それしかないと思った」と話し、後日、その旅ではどこに行くつもりだったか尋ねると「そういう場合はやっぱり北のほうでしょ(笑)」と答えていた。その発言も、高校選手権での敗戦時にコンディションを言い訳にしなかったのも、そして今回の現役引退の決断に至るまでに「J1昇格を目指すチームにずっと怪我をしている自分がいていいのか」と悩んだのも、櫛野選手のチームに対する責任感の強さの表われではないだろうか。
以前に現役引退後はサッカー界から離れると話していたが、指導者として新たなスタートを切るという。その心境の変化のきっかけについて質問すると「たまたまコーチングライセンスを取りに行った時、思っていたよりもおもしろくて自分にもやれるんじゃないかと思った」とのことだった。このJ2日記のタイトルは櫛野選手のチャントの歌詞からいただいたが、指導者として『勝利を呼ぶ守護神』を育て、その守護神が千葉のタイトル獲得に貢献した時には櫛野選手に千葉のGKコーチでいてほしい。そして、その前にまずは千葉がJ1昇格プレーオフの2試合を勝ち抜き、J1昇格を果たして櫛野選手が心晴れやかに引退できることを祈っている。17シーズン、お疲れさまでした。チームメイトを叱咤激励する、あの美声のコーチングが聞けなくなると思うと、本当に寂しいです。
以上
2013.11.30 Reported by 赤沼圭子
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