今日の試合速報

ACLE MD2
ACLE MD2

J’s GOALニュース

一覧へ

【栃木:引退記者会見】佐藤悠介選手のコメント(10.12.07)

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

最終戦後のセレモニーであいさつする佐藤悠介選手

かつてのチームメイト山崎透(現松本山雅)、小針清允(現ガイナーレ鳥取)が花束贈呈のために駆け付けた

サガン鳥栖との今季最終戦後に、今季限りで現役を引退する佐藤悠介選手の引退記者会見が行われました。コメントは、以下のとおりです。

Q:先程の引退セレモニーでは込み上げてくるものがあったと思いますが、どんなことが頭の中を駆け巡りましたか?
「最後を栃木で終われたというのは、挨拶でも言いましたが良かったと思います。僕のサッカー人生は96年に名古屋でスタートしました。今年で15年目になりますが、色々あった選手生活だったなと思います。本当に色々とあり過ぎて…込み上げてくるものがありましたね」

Q:プロ生活でやり残したことはないと?
「それに関しては、15年間で色々な選手の最後を見て来ましたが、多少の後悔は出て来るんじゃないですかね。完璧に全てをやり切ったという選手は少ないですし。僕自身はこの厳しい世界で、15年間プレーできたことは誇りに思います。色々な思いもありますけれども、僕の中では後悔はないです。最後に栃木SCで終われたということはすごく良かったと思っています」

Q:最後にピッチに立ちたかったという思いは?
「まあ、それも僕らしくていいのかなと(笑)。前半戦は皆さんもご存じの通り、僕とヨネさん(米山篤志)だけの力だけではなく皆が頑張ったと思いますが、前半戦が今季で一番結果が出ました。色々なものを栃木SCが手に入れた期間、11試合負けなしだったり、4連勝だったり、6試合連続無失点とか、そういうものを作れた時にグラウンドに立てていたので後悔はないです。身体の部分で少しずつ、厳しさは出ていましたね」

Q:栃木で終われて良かったとおっしゃいましたが、栃木での一番の思い出は?
「やっぱり2008年にJFLからJリーグへ上がる(正確には参入)一番厳しい戦いに身を置けたことですね。自分自身がキャプテンとして最低限の仕事が出来たと思っています。その最低限が、栃木県にとってはすごく大きなことだったことが、ファン・サポーターの人達が『佐藤悠介』コールをしてくれてわかった気がします。そこに立ち会えたことが良かったと思います」

Q:栃木への恩返しという言葉ありましたが、これからどんな人生を歩んで行きますか?
「そうですね。サッカーで成長させてもらいましたから、サッカーを通じて栃木県の子どもたちや栃木SCに恩返しをする番だと思っています。僕自身が出来ることはなんでもトライして、チームのためになることをやっていきたいなとは思っています。まだ具体的なことは決まっていませんけれども。栃木SCのために、栃木県のためにという思いは、これからもずっと変わらないです。栃木が好きですから」

Q:栃木SCとこれからも歩んで行きたいという気持ちが強いと?
「そうですね、はい。出来ることは限られていると思いますが。直接トップチームに関わることはないと思いますが、また違った形でJ1昇格という大きな目標に、栃木SCの一員として関われればいいですね。現役を終えてからのほうが長いですから、そういう気持ちでこれから僕自身はサッカー人生を歩んで行きたいと思います。あとは自分自身でも監督というのは興味あるので、次はそういうところを目指していきたいとも思っています」

Q:引退セレモニーで花束のプレゼンターが2人(山崎透選手、小針清允選手)出てきた時に、あの瞬間に涙が出てきたようにも見えたんですが?
「そうですね。さっきも言いましたが、2008年は本当に苦しい思いをしました。山崎(2008年の選手会長。今季は松本山雅に所属)という選手は僕が2008年にたくさんのゴールを決めた中でも、ベストゴールだと自分で思っている天皇杯のジュビロ戦でラストパスを出してくれた選手でもあるし、9試合勝ちがなかった時にも僕がちょっと失いかけていたものを呼び戻してくれました。ちょっとここでは言えないことを、彼とは共有してきたのでうれしかったですね。
小針(2009年まで栃木。現ガイナーレ鳥取)は小学生の終わりから、ずっと読売クラブで一緒に中学3年間プレーして、一緒に読売ランドの駅からリュックを背負って山道を歩きました。そんな小さい時から一緒にいる仲間でしたし、これだけキャリアを重ねても小針とは接点がなくて、中学校の時に『またどこかで一緒のチームになって、プロ選手として頑張ろう』とずっと話していました。また栃木SCで一緒になって、僕が引退する時に彼が来てくれて、その瞬間は耐えられなかったですね」

Q:小針選手と抱き合って、どんな会話をされたんですか?
「それは内緒です(笑)。2008年は自分自身が力を発揮できたこともありますが、その後ろで小針がしっかり守ってくれました。彼の力がなかったら2008年のJリーグ加入はなかったと思っています。今年僕が引退し、彼が鳥取でJへ上がって来ました。来年、活躍する姿を僕は期待しているし、頑張ってもらいたいと思います」

Q:挨拶では米山篤志選手への思いも感じられたのですが。
「本当に感謝の一言ですね。セレモニーで言ったことが全てです。本当に辛い1年だったので、ヨネさんがいなかったらやっていけたのかなとも思いますし、いいプレーヤーと同じ時間を共有できたことは本当に幸せですね。僕の選手生活では本当にそういうことが多いですね。
挨拶でも言いましたが名古屋でのストイコビッチもそうですし、神戸での永島(昭浩)さんもそうですし、セレッソ大阪の時には森島(寛晃)さん、西沢(明訓)さん、大久保嘉人もそうですし、何か自分が変わらないといけない時に、周りにいい人が居てくれたと思いますね。本当に恵まれていると思います。そういう選手の中のひとりがヨネさんだと思います。もちろん、2008年を一緒に戦ったメンバーには特別な思いがありますけれども、僕とヨネさんは苦しい時を、ヨネさんは栃木に来て2年ですか、色々なここでは言えない苦しさを、一緒に過ごせたことは本当に財産ですね。そういう気持ちを込めて感謝の言葉を言いました。別に言おうと決めていたわけじゃないですけどね。花束をもらった時に色々なことが吹っ飛んでしまって」

Q:キャプテンになられた2008年に、「僕が何かをしなければいけないチームではいけない」とおっしゃっていました。当時から現在までチームの成長をどのように感じられていますか?
「色々なものを飛び越えて何かを掴むことは、この世界では出来ないと思います。劇的に変わったことは正直ないと思います。僕が2008年にこのチームに来て、全員がプロ契約とはいっても、僕からしたら本当に子どもたちみたいな選手がいる中で、何を伝えられたかはわかりません。僕は言葉よりもプレーで何かを伝えたいという思いでやってきたので、ちょっとずつ何かが変わったのではないかなと思います。それが劇的に、来年以降に繋がっていくかはわかりません。まだJリーグに入って来年で3年目なので、クラブとしての歴史も浅いですし、また新しい選手が来ると思いますが、その中で積み上げていくもの。選手が一歩ずつ『今、何をしなければいけないのか』を考えていけば、自然と結果は出てくると思います。キャプテンが何かをしなければいけないというのではなく、皆が自立して安い高いに関係なくお金をもらっていますから、そういう割り切った選手たちの集まりになれば自然とチームはまとまるし、強いチームになっていくと思います。ただ、まだまだ時間は掛かると思いますよ。山形だって10年以上を掛けてJ1へ昇格しましたから。僕がいた湘南も昨年、J1に昇格しましたが、あれだけいいサッカーをして上がってもJ1では1年で落ちてくるチームになってしまう。ただ上がっても仕方がないと思うんですね。J1へ上がっても落ちて来ない仕組み作りを、栃木には目指してもらいたいです。僕自身はこれから子どもたちを教えていきますが、そういう僕みたいな選手を、自分で言うのもなんですが、魂を持った選手を育てていければいいなとは思いますね」

Q:栃木に来てファン・サポーターから「愛されているな」と実感したことはありますか?
「それはひしひしと感じますね。だからこそ去年、右足のアキレス腱を痛めても復帰出来たと思いますし、ファン・サポーターの方の思いは僕には届いていました。言葉でなんと言っていいのかわからないですけど、次はチームのために、ファン・サポーターの皆さんのために、僕が恩返しをする番だと思っていますし、色々なものを還元していければいいなと思っています。本当にファン・サポーターの方には感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました」

以上

2010.12.07 Reported by 大塚秀毅
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

旬のキーワード

最新動画

詳細へ

2024/10/10(木) 12:00 Jリーグ審判レポート(シンレポ!)ホイッスル #7「VARは見逃さなかった!退場になるファウルとは?」