第2回:積み重なる、J2激闘の歴史
J2リーグを特徴付けている最大のものは、J1昇格というイベントだろう。もちろんJ1でのリーグ優勝はサッカー選手にとって生涯にわたって残る勲章となるが、J1昇格は、J2で戦う選手たちにとってそれと同等かそれ以上の価値を持つ。J1昇格によって戦うリーグのレベルが上がる事の意味は、とてつもなく大きい。そしてそれを手に入れるための競争はとても厳しい。たとえば99年には、リーグ戦終盤のFC東京と大分との間で息詰まる戦いが繰り広げられてるが、勝てば昇格が決まる大分がロスタイム同点ゴールを喫し、FC東京が逆転でJ1昇格を手にする。
圧倒的な強さでJ1への復帰を果たすと思われていた2000年の浦和も、最終節まで大分に食い下がられ、鳥栖を相手にVゴールで勝利。劇的ではあったが、最後まで苦しめられたシーズンを過ごしている。2001年は終盤まで6チームが昇格に絡むなど大激戦のシーズンとなるが、特にベガルタ仙台とモンテディオ山形の昇格争いは歴史に残るものだった。ほぼ昇格を手にしていたと思われた仙台が終盤に失速。勝てば山形の結果次第では昇格が決まるという42節のアウェイの甲府戦に0-3で大敗。続くホームでの鳥栖戦では、2点のリードを手にしながらロスタイムに追いつかれ、最後はVゴールで敗れてしまった。一方の山形は、このシーズンを通してはじめて2位に順位を上げ、最終戦を迎えた。
山形が最終節で対戦したのは、不振のためシーズン中に監督が交代した川崎フロンターレ。順位も8位と低迷しており、ホームでの対戦という状況も含めて、山形の優位は揺るがなかった。対する仙台は、すでに優勝を決めていた首位の京都とアウェイで対戦。仙台はたとえ勝利しても自力では昇格を決めらないという厳しい立場での最終節となる。ところが仙台サポーターは、そうした厳しい条件をものともせず大挙して西京極へと遠征し、熱烈にチームをサポートした。対する山形は最後の1週間でマスメディアが過熱。連日の報道もあって、当時のクラブ記録となる17,396名の観客を集めて試合がスタートした。ところが異様な雰囲気に選手たちは飲まれてしまい思い通りのプレーができないまま時間が経過する。
一方、アウェイでありながらホームスタジアムの雰囲気の中で試合をスタートさせた仙台は、0-0で迎えた後半のロスタイムに、財前宣之が決勝ゴールを決めて勝利。山形が延長に入った時点で昇格が決定した。ちなみに山形と対戦し、延長Vゴールで山形を下した当時の川崎Fの石崎信弘監督は、99年の昇格をかけた最終節の山形戦でロスタイム失点を喫し、J1昇格を逃した時の大分を監督として率いていた人物である。
2002年は、3年連続で涙を飲み続けた大分が挑戦4年目にしてJ1昇格を決め、また43節にセレッソ大阪がライバルの新潟との直接対決を制し、史上初めて当該チーム同士での勝敗がJ1昇格を決めている。前年に苦汁を嘗めた新潟は、圧倒的に勝ち進んだ2003年のリーグ戦終盤に失速するが、最終節の大宮アルディージャ戦を1-0で辛勝。その結果、川崎Fが勝ち点1差で涙を呑んでいる。
昇格への可能性を残した福岡だったが、J1最下位の柏レイソルがこれを一蹴。ただ、それでも日立柏サッカー場には敗れたチームに声援を送る福岡サポーターの姿があった。
激闘に加わるためには、それ相応の歴史を刻む必要がある。上位への進出も厳しい競争を勝ち抜かねばならないが、J1昇格のためにはさらに厳しい条件をクリアする必要がある。そしてそれでもなお、涙を呑まされるのである。だからこそ、J1昇格をかけた争いはおもしろい。
2005.08.23 Reported by 江藤高志