小野伸二選手(コンサドーレ札幌)

今沢サッカースポーツ少年団-今沢中-清水商業高-浦和レッズ-フェイエノールト/オランダ-浦和レッズ-VfLボーフム/ドイツ-清水エスパルス-ウェスタンシドニーワンダラーズFC/オーストラリア-北海道コンサドーレ札幌-FC琉球
1998年に浦和レッズでプロデビューした小野伸二選手。
『天才・小野伸二』 として親しまれ、Jリーグ、そして日本サッカー界に偉大な功績を残しました。

最終節に行われた、古巣・浦和レッズとの試合ではスタメンに名を連ね、前半22分まで出場。
交代の際には両チームの選手たちがつくった花道で見送られ、集まった観客からは万雷の拍手を浴びながらピッチを後にしました。

多くの人に惜しまれながら、26年間にもわたるプロ生活を締めくくりました。

『今日でプロサッカー選手生活が終わりますけれど、僕自身は変わらずサッカーを愛し、サッカーを楽しんで、サッカーを続けて行くので、これからもどうぞよろしくお願いします。』
ゴール、アシスト、トラップ、パス総まとめ!
天才・小野伸二選手のJリーグでのプレー集はこちら。

クォンスンテ選手(鹿島アントラーズ)

全州大/大韓民国-全北現代モータース/大韓民国-尚州尚武/大韓民国-全北現代モータース/大韓民国
2006年に全北現代モータースでプロデビューしたクォン スンテ選手。
2017年から鹿島アントラーズに加入し、Jリーグでは108試合に出場しました。
翌年の2018年には正ゴールキーパーとして、クラブ史上初のACL優勝に貢献しています!

人柄の良さで多くのファン・サポーターに愛されたクォン スンテ選手。最後はクラブへの感謝を伝えました。

『7年前に鹿島に来た瞬間から今まで本当に幸せでした。僕という選手が存在できた理由はここにいらっしゃるサポーターの皆さんの力とこの鹿島アントラーズというクラブがいたから僕が存在できたと思っています。』

林卓人選手(サンフレッチェ広島)

金光大阪高-サンフレッチェ広島-コンサドーレ札幌-ベガルタ仙台-コンサドーレ札幌-ベガルタ仙台-コンサドーレ札幌-ベガルタ仙台-コンサドーレ札幌-ベガルタ仙台
2002年に広島サンフレッチェ広島でプロデビューした林卓人選手。
J1・329試合、J2・183試合に出場しました。

引退セレモニーでは、裏方やボランティアスタッフを含めた数多くの関係者への感謝を示し、人柄を表すスピーチでした。
また、伝統ある背番号1を後輩の大迫敬介選手に手渡す場面も!

広島で長く共に戦った選手や同期入団で苦楽を共にした仲間も、林選手を思い、遠い地から駆けつけました。
多くの人に愛された林選手は、自らのサッカー人生を「幸せすぎる」と振り返りました。

『これまでのサッカー人生、今後の人生も力強く生きていくための一生分の力をサポーターの皆さまからいただきました。これからは皆さまと共にチームを支える仲間に入れてください。幸せすぎるサッカー人生でした。』

南雄太選手(大宮アルディージャ)

武蔵ヶ丘FC-読売日本SCJrユース-静岡学園高-柏レイソル-ロアッソ熊本-横浜FC-大宮アルディージャ-横浜FC
1998年に柏レイソルでプロデビューした南雄太選手。
柏レイソル、ロアッソ熊本、横浜FC、大宮アルディージャに所属し、
44歳となった今季、26年間の現役生活に幕を下ろしました。

シュートストップを武器とし、所属したクラブではコンスタントに試合に出場してきました。
Jリーグ通算試合出場数は「666」試合。
GKとしての最多出場記録を保持しています!
スピーチでは、様々な想いを言葉にしました。

『大好きなサッカーを仕事にできて、様々な経験をさせてもらって、人間的にも成長させてもらい、そしてサッカーを通して素晴らしい仲間たちに出会うことができました。これが僕はサッカー人生での何よりの財産です。』

太田宏介選手(FC町田ゼルビア)

つくし野SSS-FC町田-麻布大附属渕野辺高-横浜FC-清水エスパルス-FC東京-SBVフィテッセ/オランダ-FC東京-名古屋グランパス-パースグローリーFC/オーストラリア
2006年に横浜FCでプロデビューした太田宏介選手。
Jリーグでは横浜FC、清水エスパルス、FC東京、名古屋グランパス、FC町田ゼルビアでの5クラブでプレー。
主に左サイドバックを主戦場としており、精度の高いキックを武器に日本代表でも活躍しました。
FC東京時代の2014、2015シーズンにはJリーグベストイレブンに輝いています。

また、今シーズンは引退発表後の最終盤にスタメン出場を重ね、
町田の初のJ1昇格に大きく貢献しました。
スピーチでは生まれ育った町田への想いを語ってくれました!

『5歳のときに町田でサッカーを始め、約30年たった今、ここFC町田ゼルビアで現役生活を終えれることをとても幸せに思います。』

柏木陽介選手(FC岐阜)

御津スポーツ少年団-御津中-サンフレッチェ広島ユース-サンフレッチェ広島-浦和レッズ
2006年にサンフレッチェ広島でプロデビューした柏木陽介選手。
サンフレッチェ広島、浦和レッズ、FC岐阜の3クラブで18年のプロ生活を過ごしました。

最大の特徴はなんといっても左足から繰り広げられる精度の高いキック。
多くの人を魅了したことは間違いありません。
浦和レッズ時代の2017年には、ACL優勝に貢献し、大会MVPにも輝きました!

スピーチでは、そんな輝かしいプロ生活を振り返りました。

『僕にとってこのサッカー人生、プロ18年間、最高に楽しかったです。それは、沢山の仲間、友達、家族、皆さんの支えがあったからだと思っています。誰になんと言われようが、自分のサッカー人生は最高だったと、心から言えます。』
また、今後についても言及し、岐阜県、FC岐阜への愛を伝えました。

『僕はこのチームが本当に大好きです.そしてこの岐阜県という土地も本当に心から大好きです。だから僕は来年以降このFC岐阜でこのチームに残り、FC岐阜と岐阜県を盛り上げていけるように努めていきたいと思っています。』

FC岐阜に残ることを宣言した柏木選手の第二の人生から目が離せません!

田中順也選手(FC岐阜)

高島平SC-三菱養和巣鴨Jrユース-三菱養和SCユース-順天堂大-柏レイソル-スポルティング リスボン/ポルトガル-柏レイソル-ヴィッセル神戸
順天堂大学在学中の2009年に特別指定選手として柏レイソルでプロデビューした田中順也選手。
Jリーグでは、柏レイソル、ヴィッセル神戸、FC岐阜の3クラブに所属しました。

通算300試合に出場し、63得点を記録。
強烈なシュートを放つ左足を武器に、得点を重ねていきました。
「TJ」の愛称で親しまれたレフティは、最後のスピーチで自身で華やかだったと表すサッカー人生を振り返りました。

『サッカーというスポーツ、サッカー選手という職業は僕にとって夢で、その夢を実現して最高の経験を積むことができました。こんな幸せな職業はないなと実感することができました。』

まとめ

いかがだったでしょうか!

レジェンドの言葉には重みを感じます。

所属したクラブや家族、その他関係者の支えがあってこそ、
プロサッカー選手としての活躍、歴史を積み重ねてきたことが伝わりますね。

今回紹介できなかった選手も含め、現役生活お疲れ様でした!
多くの感動をありがとうございました!