プロ入り前
小野伸二選手は1979年9月27日、サッカー王国こと静岡県に生まれました。
地元の今沢サッカースポーツ少年団、今沢中でプレーし、高校は名門・清水商業高へ進学。
全国高校サッカー選手権大会に出場することはできませんでしたが、卒業後は浦和レッズへ加入します。
地元の今沢サッカースポーツ少年団、今沢中でプレーし、高校は名門・清水商業高へ進学。
全国高校サッカー選手権大会に出場することはできませんでしたが、卒業後は浦和レッズへ加入します。
センセーショナルな浦和でのデビュー
加入した浦和では28番を着用し、デビュー2試合目、1998年3月25日の横浜フリューゲルス戦でプロ初ゴール。ルーキーイヤーはJ1リーグで27試合に出場し9ゴールを決め、新人王とベストイレブンを受賞。
2年目には背番号を8に変更。J2リーグ降格を経験するも、3年目の2000年にチームはJ1へ昇格。小野選手自身も21歳の若さでキャプテンを務めチームを牽引しました。
2001年、J1リーグ1stステージ終了とともに、オランダのフェイエノールトへ旅立っていきました。
2年目には背番号を8に変更。J2リーグ降格を経験するも、3年目の2000年にチームはJ1へ昇格。小野選手自身も21歳の若さでキャプテンを務めチームを牽引しました。
2001年、J1リーグ1stステージ終了とともに、オランダのフェイエノールトへ旅立っていきました。
オランダの強豪・フェイエノールトへ
2001年から加入したフェイエノールトでは、14番を背負い、主に中盤でプレー。攻撃を組み立てる役割として活躍し、多くのタイトル獲得に貢献しました。
チームメイトからその実力は折り紙付きでしたが、数々のけがに悩まされ、不安定なシーズンを送ることもありました。
2005年にけがの影響で大きく出場機会が減少すると、2006年1月13日に浦和への復帰が発表されました。
チームメイトからその実力は折り紙付きでしたが、数々のけがに悩まされ、不安定なシーズンを送ることもありました。
2005年にけがの影響で大きく出場機会が減少すると、2006年1月13日に浦和への復帰が発表されました。
フェイエノールトは、小野選手が今シーズン限りでの現役引退を発表した際に、労いの言葉を送っています!
再びの浦和加入と苦悩
復帰した浦和では18番を着用し、さすがのテクニックやコンビネーションで浦和の天皇杯優勝に貢献しました。リーグ戦は28試合5ゴールの結果となりました。
復帰2年目となる2007年には過去に着用していた8番をまといシーズンに臨みますが、チーム事情から途中出場も増え、25試合3ゴール。
2008年1月に、二度目の海外挑戦となるドイツのボーフムへの移籍を決断しました。
復帰2年目となる2007年には過去に着用していた8番をまといシーズンに臨みますが、チーム事情から途中出場も増え、25試合3ゴール。
2008年1月に、二度目の海外挑戦となるドイツのボーフムへの移籍を決断しました。
二度目の海外挑戦、ドイツのボーフムへ
ドイツ1年目の2008年はデビュー戦で2アシストを見せましたが、主に途中出場。
2年目以降は主に中盤センター、トップ下でプレーしますが、けがの影響もあり思うような結果は残せず、ドイツの3年間ではリーグ戦29試合0ゴールの結果となりました。
2010年の1月に地元静岡の清水エスパルスへの加入が決定しました。
2年目以降は主に中盤センター、トップ下でプレーしますが、けがの影響もあり思うような結果は残せず、ドイツの3年間ではリーグ戦29試合0ゴールの結果となりました。
2010年の1月に地元静岡の清水エスパルスへの加入が決定しました。
地元静岡の清水へ
当時30歳の小野選手。清水では30番を着用し、長谷川健太監督の下、中盤主にインサイドハーフとして活躍。天皇杯準優勝にも貢献しました。
清水加入2年目の2011年には、キャプテンに就任。
2012年途中に、三度目の海外挑戦となるオーストラリアのウェスタンシドニーワンダラーズFCへ移籍しました。
清水加入2年目の2011年には、キャプテンに就任。
2012年途中に、三度目の海外挑戦となるオーストラリアのウェスタンシドニーワンダラーズFCへ移籍しました。
三度目の海外挑戦はオーストラリアへ!
ウェスタン・シドニー・ワンダラーズFCではリーグ戦24試合7ゴールの結果を残し、チームをリーグ参入初年度でのレギュラーシーズン優勝の快挙へと導きました。
2年目はAFCチャンピオンズリーグに出場しベスト8に貢献。
2014年1月にコンサドーレ札幌(現北海道コンサドーレ札幌)との仮契約と6月からの加入が発表されました。
2年目はAFCチャンピオンズリーグに出場しベスト8に貢献。
2014年1月にコンサドーレ札幌(現北海道コンサドーレ札幌)との仮契約と6月からの加入が発表されました。
札幌で盟友・稲本潤一選手と共演
札幌では44番を着用し、同い年の盟友・稲本潤一選手と共演。2016年のJ2リーグ優勝に貢献しました。
2017年4月2日 第5節のヴァンフォーレ甲府戦では途中出場からJ1リーグに1709日ぶりに出場。札幌では主に途中出場から流れを変える存在として活躍しました。
2017年4月2日 第5節のヴァンフォーレ甲府戦では途中出場からJ1リーグに1709日ぶりに出場。札幌では主に途中出場から流れを変える存在として活躍しました。
最北端から最南端へ。琉球に移籍
2019年8月5日、Jリーグのチームの最北端である札幌から、最南端のFC琉球への移籍が発表。古巣である浦和との一戦を最後にJ2リーグへ旅立っていきました。
琉球では7番を着用し、シーズン途中加入ながら9試合に出場しました。
2020年はけがに悩まされ、14試合に出場するも12月25日に退団が発表されました。
琉球では7番を着用し、シーズン途中加入ながら9試合に出場しました。
2020年はけがに悩まされ、14試合に出場するも12月25日に退団が発表されました。
再び北の大地へ。二度目の札幌加入
復活を期す2021年に選んだ新天地は、再びの札幌。かつての44番を背負い復帰を果たしました!
6月9日の天皇杯2回戦のソニー仙台戦では、4年ぶりの公式戦でのゴールとなる直接フリーキックを沈めて天皇杯での最年長ゴール記録(41歳255日)を樹立。小野選手は衰えを感じさせない活躍をみせました!
6月9日の天皇杯2回戦のソニー仙台戦では、4年ぶりの公式戦でのゴールとなる直接フリーキックを沈めて天皇杯での最年長ゴール記録(41歳255日)を樹立。小野選手は衰えを感じさせない活躍をみせました!
Jリーグ開幕30周年の2023シーズンは、ファン・サポーターの皆様の投票をもとに、30年の歴史の中から選出する「明治安田J30ベストアウォーズ」で見事ベストイレブンに輝きました!
26年間のプロ生活に別れを告げた日本サッカー界のレジェンド
2023年9月27日、北海道コンサドーレ札幌は小野伸二選手の今シーズン限りの現役引退を発表しました。
そして迎えた12月3日、小野選手の現役ラストマッチ。相手は小野選手が最初に加入したJクラブ、浦和レッズでした!
そして迎えた12月3日、小野選手の現役ラストマッチ。相手は小野選手が最初に加入したJクラブ、浦和レッズでした!
キャプテンとしてスタメン出場を果たした小野選手は、前半22分までプレー。
短い出場時間の中、随所で見せ場を作りました!
ベンチに下がる際には、3万人を超えるファン・サポーターの大きな拍手に包まれ、ピッチ上で選手たちが花道を作りました。
短い出場時間の中、随所で見せ場を作りました!
ベンチに下がる際には、3万人を超えるファン・サポーターの大きな拍手に包まれ、ピッチ上で選手たちが花道を作りました。
誰からも愛される小野選手の人柄
小野選手は卓越した技術力だけでなく、人間性やプロとしての心構えも傑出していました。
引退セレモニーの場面からも、小野選手が誰からも愛されていたことがうかがえますね!
小野選手、現役生活お疲れ様でした!
引退セレモニーの場面からも、小野選手が誰からも愛されていたことがうかがえますね!
小野選手、現役生活お疲れ様でした!