1936年 ベルリンオリンピック(初出場)▷▷ベスト8
初のオリンピック出場は85年前の1936年。当時は完全トーナメント制での開催でした。
監督は鈴木重義氏。初戦のスウェーデンを3-2で制し初勝利を飾りますが、準々決勝でイタリア相手に0-8の完敗。
しかし、日本サッカー界の歴史に大きな足跡を残した大会となりました。
監督は鈴木重義氏。初戦のスウェーデンを3-2で制し初勝利を飾りますが、準々決勝でイタリア相手に0-8の完敗。
しかし、日本サッカー界の歴史に大きな足跡を残した大会となりました。
1956年 メルボルンオリンピック▷▷1回戦敗退
二度目の出場は1956年のメルボルンオリンピック。この時も完全トーナメント制で開催されました。
竹腰重丸氏が指揮を執り、20年ぶりのオリンピックでベスト8以上の成績を狙いますが、初戦の開催国・オーストラリア戦に0-2で破れ、1回戦で姿を消しました。
竹腰重丸氏が指揮を執り、20年ぶりのオリンピックでベスト8以上の成績を狙いますが、初戦の開催国・オーストラリア戦に0-2で破れ、1回戦で姿を消しました。
1964年 東京オリンピック▷▷ベスト8
前回出場から8年後、地元開催の東京オリンピック。長沼健氏が監督として指揮しました。
開催国の誇りを背負い臨んだ大会は、グループステージでアルゼンチンに3-2で勝利。ガーナに2-3で破れ、2位で突破します。
過去最高成績のベスト8以上を目指しますが、初戦のチェコスロバキア相手に0-4で敗退となりました。
開催国の誇りを背負い臨んだ大会は、グループステージでアルゼンチンに3-2で勝利。ガーナに2-3で破れ、2位で突破します。
過去最高成績のベスト8以上を目指しますが、初戦のチェコスロバキア相手に0-4で敗退となりました。
後にJリーグ初代チェアマンとなる川淵三郎氏も選手として出場していました!
1968年 メキシコオリンピック▷▷3位
東京オリンピックの4年後、引き続き長沼健氏が率いる日本代表は、グループステージでナイジェリアに3-1、ブラジルに1-1、スペインに0-0の結果を残し、2位でグループステージを突破。
決勝トーナメントではフランスに3-1で勝利し、ハンガリーには0-5で敗れますが、3位決定戦で開催国のメキシコを2-0で撃破。初のメダルを獲得しました!
決勝トーナメントではフランスに3-1で勝利し、ハンガリーには0-5で敗れますが、3位決定戦で開催国のメキシコを2-0で撃破。初のメダルを獲得しました!
3位決定戦では釜本邦茂氏が2得点の活躍でした!
1996年 アトランタオリンピック▷▷グループステージ敗退
初のメダル獲得後、続く出場となったのは28年後のアトランタオリンピック。
西野朗氏が監督を務め、3年前の1993年から始まったJリーグでプレーする選手たちを中心に出場しました。
グループステージ初戦で大国ブラジルを1-0で大金星。ナイジェリアには0-2で敗れ、ハンガリーに3-2で勝利しますが、得失点差に泣き、突破はなりませんでした。
西野朗氏が監督を務め、3年前の1993年から始まったJリーグでプレーする選手たちを中心に出場しました。
グループステージ初戦で大国ブラジルを1-0で大金星。ナイジェリアには0-2で敗れ、ハンガリーに3-2で勝利しますが、得失点差に泣き、突破はなりませんでした。
2000年 シドニーオリンピック▷▷ベスト8
前回のアトランタオリンピックから設けられたオーバーエイジ枠。日本代表は、初のオーバーエイジ選手に楢崎正剛氏、三浦淳宏氏、森岡隆三氏を招集し、トルシエ監督の下、シドニーオリンピックに臨みました。
南アフリカ、スロバキアにどちらも2-1で勝利し、ブラジルには0-1で敗れたものの、グループステージを2位で突破します。
決勝トーナメントでは、アメリカ相手にPK戦までもつれこむ激闘を繰り広げますが、2-2(PK4-5)で惜敗。ベスト8の成績となりました。
南アフリカ、スロバキアにどちらも2-1で勝利し、ブラジルには0-1で敗れたものの、グループステージを2位で突破します。
決勝トーナメントでは、アメリカ相手にPK戦までもつれこむ激闘を繰り広げますが、2-2(PK4-5)で惜敗。ベスト8の成績となりました。
2004年 アテネオリンピック▷▷グループステージ敗退
山本昌邦氏が新たに監督として率いたアテネオリンピック。小野伸二選手と曽ヶ端準氏をオーバーエイジ選手として招集しました。
初戦のパラグアイを3-4で落とすと、イタリアにも2-3で敗戦。ガーナには1-0で勝利を収めますが、グループステージは最下位で敗退となりました。
苦しい大会となりましたが、現在もプレーする大久保嘉人選手や阿部勇樹選手、今野泰幸選手、駒野友一選手などが活躍を見せました。
初戦のパラグアイを3-4で落とすと、イタリアにも2-3で敗戦。ガーナには1-0で勝利を収めますが、グループステージは最下位で敗退となりました。
苦しい大会となりましたが、現在もプレーする大久保嘉人選手や阿部勇樹選手、今野泰幸選手、駒野友一選手などが活躍を見せました。
2008年 北京オリンピック▷▷グループステージ敗退
反町康治氏が指揮を執った北京オリンピックでは、オーバーエイジ選手は招集せず、若い力を結集し臨んだ大会となりました。
しかし、アメリカに0-1、ナイジェリアに1-2、オランダに0-1で三連敗。最下位でグループステージ敗退となりました。
悔しい結果となりましたが、本田圭佑選手や香川真司選手、長友佑都選手、内田篤人選手など、その後海外でプレーする選手たちが大きな経験を積みました。
しかし、アメリカに0-1、ナイジェリアに1-2、オランダに0-1で三連敗。最下位でグループステージ敗退となりました。
悔しい結果となりましたが、本田圭佑選手や香川真司選手、長友佑都選手、内田篤人選手など、その後海外でプレーする選手たちが大きな経験を積みました。
2012年 ロンドンオリンピック▷▷4位
関塚隆氏が率い臨んだロンドンオリンピックは、吉田麻也選手、徳永悠平選手の経験豊富な二人がオーバーエイジ選手として招集されました。
初戦では当時世界最強と評されたスペインを1-0で撃破。モロッコにも1-0で勝利し、ホンジュラスに0-0で引き分け、グループステージを1位で突破。
決勝トーナメントではエジプトに3-0で勝利しますが、メキシコに1-3で敗れ、韓国の待つ3位決定戦へ。
ライバルとの一戦に臨みますが、0-2で敗戦し最終成績はベスト4。44年ぶりのメダルに手は届きませんでした。
初戦では当時世界最強と評されたスペインを1-0で撃破。モロッコにも1-0で勝利し、ホンジュラスに0-0で引き分け、グループステージを1位で突破。
決勝トーナメントではエジプトに3-0で勝利しますが、メキシコに1-3で敗れ、韓国の待つ3位決定戦へ。
ライバルとの一戦に臨みますが、0-2で敗戦し最終成績はベスト4。44年ぶりのメダルに手は届きませんでした。
2016年 リオデジャネイロオリンピック▷▷グループステージ敗退
前回大会のリオデジャネイロオリンピックでは、手倉森誠氏が監督を務め、オーバーエイジ選手に興梠慎三選手、塩谷司選手、藤春廣輝選手を招集しました。
初戦ではナイジェリアと激闘を演じ、4-5で敗戦。コロンビアには2-2で引き分けると、スウェーデンに1-0で勝利しますが、勝点で及ばずグループステージ敗退となりました。
初戦ではナイジェリアと激闘を演じ、4-5で敗戦。コロンビアには2-2で引き分けると、スウェーデンに1-0で勝利しますが、勝点で及ばずグループステージ敗退となりました。
53年ぶりのメダルへ!地元開催のオリンピックを応援しよう!
57年ぶりの自国開催となる東京2020オリンピック、そして53年ぶりのメダル獲得を目指す男子サッカー日本代表!
みんなでUー24日本代表を応援しよう!
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