先日、ソウルの大韓サッカー協会、韓国プロサッカー連盟を訪ね、Jリーグチェアマン就任の挨拶をさせていただいた。話題はFIFAワールドカップやAFCチャンピオンズリーグから国内リーグに至るまで及び、幅広く意見交換をさせていただいた。滞在の中で、印象深かったのは皇甫官(ファンボ・カン)氏との会食だった。 皇甫氏は元韓国代表選手で、1990年のFIFAワールドカップイタリア大会ではスペインを相手に得点をあげるなど大きな活躍を遂げた英雄だ。現在は韓国代表チームを率いる技術委員長の要職にある。
皇甫氏は1995年から2010年までの16年にわたり大分県で日本サッカーに貢献してくれた人物なのだ。大分トリニータの前身である大分FC時代は選手として活躍し、 その後は育成世代のコーチ、監督、クラブの取締役などを歴任されている。今回のFIFAワールドカップブラジル大会に選抜された西川周作、清武弘嗣、森重真人らが大分トリニータ在籍時には皇甫氏の薫陶を受けているのだ。
皇甫氏は、 穏やかな笑顔と流ちょうな日本語で、中学生だった頃の西川少年との出会いを語ってくれた。「西川はとても心が安定している少年だったのです。いつも穏やかな心を持っていました。彼は前半キーパーをやったかと思うと後半はキーパー手袋を 放り投げてフィールドプレーヤーをやっていたよ。とても足技もうまい選手だったのを覚えています。」現在の西川選手を彷彿とさせるエピソードだ。 もし皇甫氏が目をかけて発掘していなければ、今の代表に西川は存在しないのかもしれないのだ。
私は、FIFAワールドカップ視察に 向けてブラジルに旅立つ前に、どうしても大分トリニータを訪ねて見ようと思った。世界に通用する若きタレントを輩出するクラブを見ておきたかったのだ。代表選手以外にも、東慶悟(FC東京)、梅崎司(浦和レッズ)、 金崎夢生(ポルティモネンセSC)らも巣立っている。そして、昨日の6月10日にスタジアムである大分銀行ドームと隣接する練習場、クラブハウスなどを見学することができた。
緑豊かな敷地内には小さなクラブスタッフ用のオフィスがあった。私は玄関入口に張られているポスターを見てしばらく動けなかった。それは、西川周作選手がサンフレッチェ広島に移籍するためクラブを去る際に、人知れずポスターに書き残したメッセージだという。日付は2009年12月30日とある。この2009年、大分トリニータは激動の時期にあった。10億を超える債務超過を抱えたクラブの経営危機が表面化し、11月17日にはJリーグ公式試合安定開催基金から緊急融資が決定された。クラブには高額選手を抱える余裕はなく、西川周作、清武弘嗣、森重真人ら他のクラブからの獲得意向がある選手は移籍が勧められた。3人とも同じタイミングでクラブを去ることになったのだ。中学生のころからクラブとともにあった西川選手は相当悩んだと伝えられる。そして、年の瀬の12月30日、一人荷物をまとめた西川選手はこのメッセージを残して大分を去ったのだという。
「今までありがとうございました。これからも日本代表を目指してがんばります。またいつか大分に戻ってこれるよう成長してきます。 いってきます。 西川周作 2009.12.30」
「いってきます。」
西川選手は、まるで「家」を出るようにクラブを出た。
この時以来、彼はずっとこの約束を守り、頑張り続けてきたのだ。きっと、「心が安定している」とは、こういう事なのだろう。
そしてクラブ側も約束を守り続けた。Jリーグからの借入金を完済し、今年債務超過も解消した。どん底から見事な復活を遂げて、西川選手の“実家“は存続を果たしたのだ。
今晩、私・村井は、ブラジルに向かいます。こうした選手のFIFAワールドカップでの活躍が心から楽しみです。次は現地から送ります。