選手たちよ、共有せよ!
かつて『共産党宣言』の中で「労働者よ、団結せよ!」と説いたカール・マルクスにならい、勝手ながら、2016年版『Jリーグ宣言』のキャッチコピーを考えてみました。これは、きわめて印象深い2つのチームから着想を得たものです。1つは昨シーズンのJリーグ王者であるサンフレッチェ広島、もう1つはリオ五輪への切符をつかんだU-23日本代表。この、まったく異なる2つのチームを取り結ぶのが「共有」の二文字にある――。そう思うに至ったわけです。
では、何を共有するのか。ざっくり言えば、場所(ポジション)と時間(90分)です。それを、できるだけ多くの選手たちでシェア(共有)する。特定選手(レギュラー)が「所有」する場所と時間を流動化させる試みでしょうか。脱ベストイレブン主義。広島と五輪代表の接点が「これ」ですね。広島では「1トップは佐藤 寿人と浅野 拓磨のどちらがベストか?」という問いに大きな意味はありません。2人が「場所と時間」を共有することで、非常に強力な1トップを手にしているからです。
念のために言うと「各選手を平等に扱え」という話ではありません。チーム全体のパフォーマンスの向上に資する部分が大きいのではないか、との推測が思考の出発点です。FIFAクラブワールドカップで3位に食い込んだ広島とアジア最終予選で勝ち抜いた五輪代表は、いずれも短期決戦というシビアな環境を大胆な「シェア戦略」によって乗り切りました。スタメンの固定化が進んだチーム(ベストイレブン主義)では体力面の負荷が大きく、勝ち抜きは難しかったかもしれません。
チームの調子が良いときはメンバーを変えるな――。ブラジルのサッカー界には、そうした格言があるそうです。選手間の相互理解が進み、コンビネーションが深まる利点は大きいでしょう。反面、サブとの間にモチベーションの格差が広がりやすく、主力が欠けたときの代案を見いだしにくい難点が生じます。そのリスクは否定できません。石井 正忠新監督の下、選手間の競争力をあおり、逆襲に転じた鹿島アントラーズの変貌は、スタメンの固定化を避けることの利点を示すものでした。
この『シェアフットボール』を実践する上でネックになるのは、選手間の実力差が大きいケースでしょう。もっとも、監督によって選手の評価が大きく変わるように、その「実力査定」には多かれ少なかれ「好み」というバイアスがかかっています。各選手の相対的な優劣よりも「差異」に目を向ける指導者なら、個々の有効な使い道(生かし方)を思案するかもしれません。1つの戦い方に執着せず、その幅を広げることに価値をおく指揮官は、多様なオプションを必要としますから。
とりわけ、J1の上位クラブには自ずと「シェアリング」の必要性が高まるでしょう。リーグ戦と2つのカップ(ヤマザキナビスコカップと天皇杯)に加え、ACL(アジアチャンピオンズリーグ)を戦うことになるからです。つねに「ベストイレブン」を固定しながら4つのコンペティションで満足のゆく結果を残せるとは考えにくいでしょう。逆に言えば、巧みな駒のやりくりで過密日程をこなす道筋を示した広島は、非常に楽しみというわけです。シーズンごとに主力選手を失いながら、メンバーの底上げに成功し、総合力を高めた森保 一監督の手腕はいくら称えても足りない、という感じでしょうか。
今回、ターンオーバーという用語を使わなかったのは「共に戦う」というニュアンスが伝わりにくいと感じたからです。その「順番に回す」という機械的なイメージから、良い意味での緊張感が生まれるのかどうか。広島や五輪代表には一人ひとりの当事者意識が強く感じられました。思想や哲学、攻と守に加え、場所と時間、そして、ひとつのボール――それらをチーム全体で「共有」していくことの強みはバカにできないでしょう。選手たちよ、共有せよ! ひどく妄想的な宣言ですが、そこに団結力や求心力が生まれる素地があるなら、マルクス先生もご不満はないかと……。