日本サッカーの次代を担うU-23日本代表が1月の最終日までカタールの首都ドーハにて過ごすこととなった。リオ五輪アジア最終予選を兼ねるAFC U-23選手権に臨んだ若きイレブンは、不本意な前評判を跳ね返す快進撃を見せて大会を初制覇。28年ぶりの出場を果たした1996年のアトランタから28年続く記録を保持することとなった。
ただ、彼らにとってのゴールがここでないことは改めて強調しておきたい。そして栄冠を手にすることになった若き選手たちの前評判が低かった理由は、単純にU-19年代でアジア予選にて敗退しているという実績の話だけではあるまい。イメージの要素が大きかったように思う。他業界で活躍している友人と大会前にやり取りしていたとき、「知っている選手が5人くらいしかいない」というメッセージをもらった。彼はむしろ知っているほうだったのではないかとも思うわけで、若手の有望株をズラリと集めたチームにもかかわらず、知られている選手がほとんどいないことに、U-23代表の現状も見え隠れする。
参加23選手のうち、Jリーグに所属する選手は20名。その2015年シーズンを振り返ると、所属クラブでシーズンを通じてレギュラーだった選手はDF岩波 拓也(神戸)、亀川 諒史(福岡)、MF大島 僚太(川崎F)、遠藤 航(湘南 ※新シーズンから浦和へ移籍)ら6人だけ。J1に限定すれば岩波、大島、遠藤の3人だけなのだから、印象が薄いのも無理はない。ベストヤングプレーヤー賞に輝いたFW浅野拓磨(広島)にしても、あくまで“スーパーサブ”としての活躍だった。
このチームを率いる手倉森 誠監督と霜田 正浩 日本サッカー協会技術委員長は、2014年1月のチーム結成後から常に「選手が所属クラブでレギュラーを奪うことが一番の強化」と語ってきているのだが、その成果が出ていると胸を張れない現実は、本大会を前に直視しておく必要がある。22歳、23歳というのは、サッカーの世界では決して若手ではない。かつて中田 英寿は21歳で欧州のトップリーグで活躍を見せていたし、この年齢でFIFAワールドカップのメンバーに名を連ねる選手も決して珍しくはない。
過去の五輪イヤーを振り返ると、先のロンドン五輪を除くとJリーグのベストイレブンにも五輪代表選手が必ず入ってきていた。2008年は内田 篤人、2004年は田中マルクス闘莉王、2000年は中村 俊輔、松田 直樹、明神 智和、稲本 潤一の4人(さらに中村はMVPも受賞)、そして1996年は前園 真聖という具合である。今年はリオ五輪を迎えるわけだが、是非ここにU-23年代の選手たちが入ってきてほしいと思うし、入ってくるのがノーマルな状態になってほしいと思う。
大会後、今季からJ1に挑む福岡の亀川は「率直にうれしい」と語りつつも、個人としては出場機会の少なかった現実に「悔しい」と言い切った。その上で、「これからが勝負だと思っているし、この思いをJリーグでぶつけて、(J1という)良い舞台で自分を出したい」と熱く語ってくれた。五輪最終予選での栄光はもはや過去の話。本大会の登録18名に向けたサバイバルの舞台はJリーグであり、そこでホンモノとしての価値を見せる選手が現われてこそ、「五輪でメダルを獲る」というチームの目標も近づいて来る。それぞれの所属クラブへ散っていった選手たちが新たな気持ちで臨むシーズンで、さらに輝きを増していくことを期待している。