記念すべき第1回大会開催となった『Jリーグ インターナショナルユースカップ』。信州の寒空の下で試合を観ながら、どうにも気になって仕方がない男がいた。選手ではない。監督でもない。もちろん、サポーターでもない。見るからにちょっと若い、一人の審判員に対して、である。
そのゲームは、大会2日目の第1試合。オランダのAZアルクマールと韓国の全南ドラゴンズが激突するという、まさに「国際試合」だった。共に第1戦で黒星と、優勝するためには勝つしかない試合。試合前の全南の士気の上げ方を見ていても、「荒れる」要素は満載に見えた。日本で行われる国際ユース大会でジャッジに対する不満から試合が大荒れになるのは別段珍しくもないだけに、「嫌な予感」がしたのだ。主審が経験の浅い若手に見えたのも、そうした予感を後押しした。
もっとも、この心配は杞憂だった。26歳の淺田 武士主審は激しいクレームを受けても動じることなく応対し、単語をハッキリ言う発音の英語でも積極的にコミュニケーション。これなら韓国の選手にもちゃんと(少なくともニュアンスは)通じる。判定ごとにベンチから爆発的な抗議が出ることはあったが、これはもう“お約束”みたいなもので、本気の暴発が起きることはなかった。主審の判定基準が見えてくるところでアジャストしていく選手もいて、試合は適度な激しさを保ったまま推移して、至って無事に終了を迎えた。ここで一記者として思うのは、「このレフェリーにちょっと話を聞いてみたい」という素朴な感情である。
シャワーを浴びて出てきた淺田主審は、確かに若い。1989年生まれの26歳。順天堂大学までサッカーをしていたが、そこから一念発起してイングランドへ留学。審判の道を志すようになり、帰国後はレフェリーカレッジへ。今年は明治安田生命J3リーグで主審を担当したほか、『国際ユースIN新潟』のような国際大会でも笛を吹いている。
そんな淺田主審に国際試合ゆえのポイントを問うと、「サッカー文化は国ごとに違っているものなので、それを肌で感じること」という答えが返ってきた。たとえば、どのくらいの接触で「倒れる」のか。これは文化の違いなのだという。「最初のいくつかのプレーで、韓国の全南のほうが簡単に倒れる基準を持っているのに対し、オランダのAZは簡単にパタッとは倒れないということが分かってきました。だから、そこからは『さじ加減』が必要になります」と言う。つまり、主審として、「これくらいで倒れるとファウルにならないよ」、あるいは「この試合はここからファウルだよ」という基準を明確化していく必要があるわけだ。これが曖昧だとフラストレーションが溜まって、試合が壊れてしまう可能性まで出てくる。まさに「さじ加減」である。筆者の勝手な見立てでは、淺田主審はAZ側に少し寄った基準を笛、あるいは笛を吹かないことによって提示。全南の選手たちもそれを察してプレーの強度を上げていった。
一方で、仮にこの「さじ加減」を間違えてしまって試合が荒れたとしても、これはこれで若い審判にとって血肉になる経験となったはず。こういう部分にも国際ユース大会を日本でやる意味は小さくない。淺田主審も「僕らのような若い審判にとって、こういう機会をいただけるのは本当に大きいです」と語った上で、「国際主審になって、いつかFIFAワールドカップで笛を吹きたい。日本人らしい、走力と気配りで勝負するようなレフェリーになっていきたいと思います」と大いに夢を語ってくれた。
このJリーグ インターナショナルユースカップを継続していく中で、FIFAワールドカップの舞台に立つ選手はもちろん、レフェリーも出てくるようならば、大会を日本でやる価値はさらに上がっていくに違いない。