その少年、Kくんとはひょんなことから出会ったのだった。東京ヴェルディのホームゲーム開催日、僕は知り合いのサポーターと電車に乗って味の素スタジアムに向かっており、途中の乗り換え駅で言葉を交わした緑のシャツを着た少年と、なぜか連れ立って行くことになった。Kくんは10歳の小学4年生。東京Vジュニアの選手である。
飛田給駅からスタジアムまで延びる一本道を歩きながら、「ヴェルディって、昔は人気あったんですよね?」とKくんは遠慮がちに訊く。1990年代前期の緑の栄華は、絵本で読むおとぎ話と大差ないのだろう。僕の知り合いはかなりの古株で、壮絶なチケット争奪戦を経験している。Kくんはふむふむと話を聞き、ついでにサポーターの日常について「四国まで応援に行くんですか。すごい!」と感心しきりだった。応援+食い道楽(温泉)なのだが、幼い少年はそれを知る由もない。
東京Vジュニアの監督はOBの菅原 智氏が務める。Kくんは「なんかめっちゃ早く退場したらしいですね」と、2009年4月15日J2リーグ第8節 サガン鳥栖戦(開始9秒で一発レッド)の珍事件を知っていた。動画サイトで見たという。まったく油断のならない世の中だ。「とても優秀な中盤の選手だったんだよ」とフォローしておいた。
後日、僕は人懐っこいKくんとの出来事を冨樫 剛一監督に話した。「ハイハイ知ってるよ。面白い子だね」と冨樫監督は笑う。これに僕は小さくない衝撃を受けた。トップの監督がジュニアの一選手まで把握している。そんなクラブはそうそうありはしない。冨樫監督が育成上がりの指導者であることに加え、子どもから大人まで一ヵ所で練習する東京Vならではの強みだ。クラブの貴重なアイデンティティーの源である。
冨樫監督はJ1昇格を目指す戦いについてこう力を込めた。
「選手、スタッフはもちろん、スポンサーやサポーターの方々、皆さんの骨惜しみない協力のおかげで昇格争いに絡めています。J1を目標とするのは、自分たちのためだけではないんですよ。アカデミーの子どもたちに『俺たちはJ1クラブの選手なんだ』と胸を張ってほしい」
今季の東京Vが特長的なのは、自前で育て上げた選手たちが主力となっていることだ。随所で見せる阿吽の呼吸、連携力の高さがベースとなっている。
「アカデミー出身の選手たちと、井林 章、中後 雅喜、佐藤 優也など外から入った選手たちが組み合わさり、力をつけてきたチームです。今年の取り組みだけではなく、これまで何十年と力を注いできた選手育成のすべてをぶつけたい」(冨樫監督)
はたして、東京Vに連綿と受け継がれてきた育成理論が、日本のトップリーグに値するのかしないのか。クラブのアイデンティティーの懸かった挑戦であり、その責任が冨樫監督の双肩にかかっている。
東京VはJリーグ初代チャンピオンであることから名門とよく評されるが、その称号は日本サッカーの基層を成す「丸の内御三家」(古河=ジェフユナイテッド千葉、三菱=浦和レッズ、日立=柏レイソル)こそがふさわしい。クラブチームの先駆けとして歩んだ読売クラブをルーツに持つ東京Vは、常に挑戦者だ。
今夏、東京Vは破竹の5連勝で一気に3位まで進出した。ところが、J1昇格が現実味を帯び始めた途端、急激に失速する。11月8日、明治安田生命J2リーグ 第40節、昇格争いのライバルである千葉に0-1と敗戦。この結果、勝点57で千葉(6位)、V・ファーレン長崎(7位)、東京V(8位)が並び、背後には同54のコンサドーレ札幌が迫る。勢いの点で東京Vがもっとも分が悪く、得点力不足は深刻だ。
土壇場に追い詰められた今、チームはどう戦うのか。このまま尻すぼみでシーズンを終えるのか。それともエネルギーを振り絞って奮起するのか。その姿をアカデミーの子どもたちはつぶさに見ている。
(著者プロフィール)
文:海江田哲朗
1972年、福岡県生まれ。獨協大学卒業後、フリーライターとして活動。2001年から東京ヴェルディの取材を中心に、日本サッカーの現在を追う。主な寄稿先に『サッカーダイジェスト』『フットボール批評』など。著書に『異端者たちのセンターサークル』(白夜書房)がある。