6月16日に埼玉スタジアムで行われるシンガポール代表とのアジア2次予選から、2018FIFAワールドカップ ロシア大会への道がスタートする。11日に行われたイラク代表との前哨戦では柴崎 岳(鹿島アントラーズ)、宇佐美 貴史(ガンバ大阪)、槙野 智章(浦和レッズ)ら国内組が活躍。谷口 彰悟(川崎フロンターレ)が日本代表デビューを飾るなど、Jリーグにとっては朗報の多いゲームとなった。
そして試合を控えた6月14日は、日本代表にとってワールドカップとの不思議な縁がある日でもあった。
ドーハの悲劇、ジョホールバルの歓喜を経て、晴れてワールドカップの舞台に立ったのは1998年の同日。日本代表はフランス・トゥールーズのミュニシパル・スタジアムでアルゼンチン代表と対峙し、ガブリエル・バティストゥータのゴールで惜しくも0-1と敗れたものの、初めて世界のピッチを踏んだ日として日本サッカーの歴史に大きな1ページを刻んだ。韓国との共催でワールドカップを開催した2002年には大阪でチュニジア代表を2-0と破り、初の決勝トーナメント進出を決めている。記憶に新しいところでは昨年のブラジル大会。コートジボワール代表に本田 圭佑(ミラン)のゴールで先制しながら、痛恨の逆転負けを喫した。日本が過去5度出場した本大会で、実に3試合がこの日に行われていた。
いずれも印象深い試合ばかりだが、実はこの日を特別な日としているJクラブのサポーターがいる。
2002年6月14日、長居スタジアム(現ヤンマースタジアム長居)でベスト16進出を決めた日本代表。この試合でチュニジア代表からゴールを決めたのが中田 英寿、そしてこの長居をホームスタジアムとするセレッソ大阪の森島 寛晃だった。
森島は東海第一高(現東海大翔洋高)から1991年にC大阪の前身であるヤンマーに入り、そのままクラブ一筋で2008年まで17年にわたってプレー。J1通算318試合94得点、日本代表通算62試合12得点という記録を残した“ミスター・セレッソ”で、持ち前の腰の低いキャラクターとしても愛された。彼が背負った8番はクラブ伝統の番号となり、現役引退後はクラブアンバサダーを務めるレジェンドでもある。
4年に一度開催されているワールドカップにおいて、自分がプレーするクラブの本拠地でピッチに立ち、さらに得点を決める可能性は本当に低い。しかも、それがプロ入りから現役引退までクラブ一筋でプレーしたレジェンドとなれば、もしかしたら世界で彼の他にはいないかもしれない。
そんな森島の歴史的ゴールを称えるべく、翌2003年からC大阪サポーター有志が毎年同日に長居スタジアム周辺に集まり、みんなで当時の映像を見たり、思い出話を語り合ったりしているという。彼らは愛するレジェンドが偉業を成し遂げた6月14日を「モリシの日」とし、昨年には森島本人の承諾を得て一般社団法人日本記念日協会へ正式申請。5月15日が「Jリーグの日」となったのと同様に、「モリシの日」も日本記念日協会に登録が認可された。こういったサポーター主導の取り組みが森島自身やクラブをも巻き込み、多くの人に「6.14」を広める結果となったのは素晴らしいことだと感じる。
C大阪は2000年5月27日の1stステージ最終節で最下位の川崎フロンターレに勝てば優勝というシチュエーションに持ち込みながら延長戦の末にVゴールで敗れている。「モリシの日」と「5.27」。この二つがC大阪サポーターにとって永遠に語り継がれていくであろう日付であることは間違いない。ちなみに2005年12月3日のJ1最終節でも「勝てば年間優勝」という大一番でFC東京相手に後半アディショナルタイムの同点弾でタイトルを逃しており、こちらも「6.14」、「5.27」に次いで忘れられない日になっていることだろう。
クラブ史に残る選手や背番号、プレーなどがサポーターによって語り継がれていくのと同様に、大事な試合が行われた日付を大事にしている人もいる。喜びも悲しみも幾歳月。毎年、その日が来るたびに過去に思いを馳せ、仲間と語り合い、クラブとともに歩む喜びを噛みしめることができる。これぞ素晴らしきフットボールライフだと思う。
最後に余談を一つ。昨年6月に「モリシの日」が正式に登録されたが、C大阪サポーター有志には、もう一つの“野望”があるという。それが森島のゴールパフォーマンスとしておなじみだった飛行機ポーズの銅像をヤンマースタジアム長居とキンチョウスタジアムのある長居公園内に作ること。先のチュニジア戦でも見せた両手を広げてピッチを走る森島の姿をモニュメントとして残したいのだそうだ。カシマサッカースタジアムにジーコ像が立っているが、ここまで日本人選手の銅像は作られたケースはない。様々な障壁があるだろうが、こちらもいつの日か実現することを楽しみにしている。