あなたの胸に残っている選手は誰ですか?
大一番でチームに勝利をもたらすゴールを叩き込んだFW?それとも一瞬で敵陣を切り裂くスルーパスを出した司令塔?鮮やかな弾道を描いてネットを揺らしたFKキッカーかもしれない。絶体絶命のピンチを救ってくれたDFやGKも強く記憶に残っていることと思う。ファンサービスに積極的だったり、ムードメーカーとしてチームを盛り上げてくれた選手もよく覚えていることだろう。熱いハートとクラブ愛を持って、ともに戦った選手への感情は特別なものがある。アカデミーからの生え抜き選手に対する思い入れは強いだろうし、長年在籍してくれた功労者も忘れがたき存在であるはずだ。
ただし、そこはプロの世界。どれだけサポーターから愛された“レジェンド”だったとしても、一つのクラブで現役生活を全うできることが非常に少ないのが現実だ。
そこにサッカーというスポーツの素晴らしさがある。もし対戦相手として対峙することになったとしても、選手紹介時にかつてのホームスタジアムが拍手で包まれるシーンを何度も見てきた。試合後に相手チームのサポーターにあいさつへ向かい、温かく迎え入れられるシーンはご覧になったことのある方も多いと思う。思いがけず袂を分かつことになってしまった両者にとって、それは懐かしき記憶を呼び起こす瞬間となる。
一つのクラブを見続けていくと、いろいろな選手や因縁に出会うものだ。先に挙げたような選手はもちろん、手痛いゴールを決められた相手FWやスーパーセーブを見せつけられたGK、味方選手が激しく削られたシーンもすぐに思い出せる。クラブとともに酸いも甘いも味わってきた人間にとっては、彼らがどこのクラブへ移籍しようとも忘れられないものがある。
そんな中、興味深い話を聞いた。
5月30日に行われた明治安田生命J1リーグ第14節FC東京対柏レイソルの一戦。柏の選手に続いて吉田 達磨監督の名前が紹介された際、拍手で迎えていた古くからのFC東京サポーターが複数いたという。
では、前身の東京ガス時代を含めて在籍経験のない吉田監督に、彼らはどうして拍手していたのか。
話は今から16年前に遡る。
1999年11月21日、FC東京はJ1昇格を目指して新潟市陸上競技場でアルビレックス新潟とのJ2最終節に臨んでいた。この試合に1-0で勝利したが、これだけでは決まらず、ライバルの大分トリニータがモンテディオ山形相手に引き分け以下に終わることが昇格の条件となっていた。そして大分市陸上競技場でのゲームは終盤まで大分が1-0とリード。ホームチームのJ1昇格が秒読みとなっていた。
ドラマはここから始まった。終了間際に山形が左サイドで直接FKを得ると、背番号7の右足から放たれたボールは緩やかな軌道を描いてゴールネットを揺らした。前年まで主力として活躍していた佐藤 由紀彦がFC東京へ移籍し、彼に代わって加入した攻撃的MFのキックで山形が土壇場で同点に追いつく。これで試合は延長戦に突入すると、その後もスコアは動かずタイムアップ。遠く離れた新潟市陸で大分の試合結果を待っていたFC東京が、大逆転でJ1昇格を手にした。
この劇的な直接FKを決めた7番こそが、現役時代の吉田 達磨。値千金の同点ゴールでFC東京にとっての“知られざる功労者”となった。
吉田監督は当時のゴールシーンについて、「フワッと浮かせたキックが誰にも触らずに入っちゃったんですよね」と懐かしそうな顔を浮かべていたが、かなり時間が経っていることもあり、あまり詳しくは覚えていないとのこと。当時のFC東京に特に仲の良かった選手はおらず、誰かからお礼の電話があったわけでもないという。当時のFC東京の主力選手に聞いても、「あのゴール、タツマだったんですか。今でこそ話はするようになりましたけど、当時は全く知らなかった」と歓喜の裏側を意に介していなかった様子だった。
自分も新潟市陸でFC東京がJ1昇格を果たす瞬間に立ち会い、直接FKを決めた選手が吉田監督だったことは覚えていたものの、当時は現在のように観戦環境が整っておらず、新潟で待機していた選手やスタッフ、サポーターは現地と電話をつないだりして情報を得ていたことのほうが印象的だった。アウェイの地で喜びを分かち合った関係者も東京に戻って落ち着いた頃には試合映像を見る機会は少なかったはず。それだけにFC東京側の記憶が薄いのは仕方がないかとも思う。
だが、そんな中でも自分が応援しているチームを助けてくれた選手へのリスペクトを忘れない人がいた。こういった邂逅を喜べるのも歴史を知っているからこそ。今のクラブがあるのは、過去に様々な形で関わってきた人がいるからに他ならない。それは選手かもしれないし、スタッフだったりもする。今回のように一見すると関係ないような他チームの選手であるケースもあるだろう。ここにクラブの歴史を見続け、語り継いでいく人の存在意義がある。歴史を知っていたからこその拍手であり、それを見た人が疑問に感じることでクラブの歴史に興味を持てば、語り継いでいく人が増えることになる。Jリーグにおける温故知新とでも言おうか。
人にもクラブにもストーリーあり。彼らが残したものは長い時間が過ぎて、少し色褪せてしまったとしても、その価値は決して変わるものではない。それぞれの思い入れと記憶を共有することで、Jリーグを見続ける楽しみは何倍にも大きくなる。
さて、あなたの胸に残っている選手は誰ですか?