リオ五輪への出場切符を争うAFC U-23選手権。その予選大会が3月27日から31日にかけてマレーシアのシャー・アラムスタジアムにて開催されたので、取材のために行ってきた(正確には、このコラムが掲載されるころはまだ機上の人かもしれない)。
海を渡っての取材は独特の緊張感があるものだが、今回は「予選」ということで緊張に加えて「ドキドキ」も携えての旅だ。
この大会に臨むU-22日本代表は、1993年1月1日以降に生まれた選手たちで構成されている。メンバー23人中20人がJリーガーで、残る3人のうち2人を占める海外組(久保裕也と南野拓実)にしても、元々はJリーグでプレーしていた選手たちである(最後の1人は明治大学のDF室屋成)。言ってみれば、Jリーグの近未来を背負う選手たちの集団である。
4年前のロンドン五輪の1次予選メンバーを思い出してみても、それは一目瞭然。GK権田修一(FC東京)、DF酒井宏樹(当時・柏、現・ハノーファー/ドイツ)、MF山口蛍(C大阪)、FW大迫勇也(当時・鹿島、現・1FCケルン/ドイツ)、永井謙佑(名古屋)といったハリルホジッチ監督率いる新生日本代表に名を連ねる選手たちがズラリと顔をそろえている。五輪代表は若手選手の登竜門という意味合いもあるわけだ。
常夏の国であるマレーシアは、3月末であっても酷暑が続く。まだ肌寒い3月中旬の日本から現地入りした選手たちにとっては非常に厳しい環境だったのは間違いない。しかし結果は3戦して無失点での3連勝。予選で求められるのは何よりも結果であることを思えば、文句の付けようのない戦果だろう。ドキドキはまさに杞憂だった。
筆者は厳しい環境ですっかり体調を崩してしまったのだが、それだけにあの暑熱の環境下で戦い抜いた選手たちのタフネスには素直に敬意を表したい。加えて、東南アジア特有のスコールにも見舞われて、ピッチ状態はまさに最悪の一言だったこともある。「よくぞ戦い抜いてくれた」という手倉森監督の言葉は、現地にいたからこその実感がこもっていた。
もっとも、「引いた相手を崩せるかが課題だったけれど、同じことを繰り返している」とDF松原健(新潟)が憤っていたように、内容的には来年1月の最終予選を見据えて大いに改善の余地があるもの。「日ごろの練習から100%やっていく以外にない」と松原が言ったとおり、それぞれの所属チームで、それぞれの選手が「代表選手としての自覚を持って」(遠藤航/湘南)戦い抜いていくことで、代表のレベルアップにつなげていく以外の道はない。それは日本サッカーとJリーグ自体の底上げにもつながる道だ。
MF大島僚太(川崎F)は試合後、週末のリーグ戦について問われて「出たいです」と即答していた。それぞれの所属チームに戻った代表選手たちが、週末のリーグ戦を目指して新たな意欲を携えて新たな戦いを始める。まだポジションを取っていない選手たちのブレイクスルーも楽しみにしたいし、この代表入りを狙う未知のタレントの台頭も望まれる。若手の成長なくして、日本サッカーの未来も、Jリーグの未来もないのだから。