チェスも将棋も、社会の鏡――。
伝説のチェス王者、ガルリ・カスパロフさんが先日、テレビで将棋の名人・羽生善治さんと対談した際に、そう語っておりました。ヨーロッパでチェスに改良が加えられた15世紀末は活気ある大航海時代で、それがチェスをダイナミックに変えたのだと。クイーンという駒のパワフルな動きを例に挙げ、将棋の大駒(飛車や角)より強力でしょう、と解説していました。
伝わりながら、その土地の気質を取り込んでいった――というカスパロフさんのお話は、サッカーにも通じるものですね。サッカー発祥の地イングランドから世界に広まり、その土地の気質や文化を取り込んで、独自の発展を遂げてきました。日本も例外ではないでしょう。そう言えば、カスパロフさんが将棋について興味深い見解を述べていました。
「日本では伝統的に『前言撤回』が潔しとされません。それを反映して、将棋の駒の多くが後戻りしないのではないでしょうか。こうした文化とのつながりが、とても面白いと思うのです」
後戻りしない(できない?)日本――何とも鋭いご指摘ですね。サッカーの文脈で考えてみると、相手のカウンターアタックを浴びて「後戻り」しなきゃならない局面の対応は、確かに苦手かもしれません。リスクを避けるなら、籠城戦が手っ取り早いですね。将棋でいう「穴熊戦法」でしょうか。Jリーグにおいても、そうした決断を下すチームは少なくありません。先週末のリーグ戦では湘南ベルマーレと対峙したべガルタ仙台が、穴熊囲いを用いて引き分けています。
後戻りしない、できない、したくない。日本にそんな伝統(気質)が脈打つならば、もうラグビーみたいな「前進あるのみ」という突貫戦法で勝負に打って出るのも面白いでしょうね。スローガンは振り向くな、君は美しい――。昨季のJ2リーグでは大胆に前へ出て、球を狩る湘南とモンテディオ山形がJ1に昇格しています。前線からの苛烈なプレスは後戻りの負担を最小化し、速攻の導火線にもなるものでした。先週末、川崎フロンターレを破り、リーグ戦初白星を飾った山形は「迷わず行けよ、行けばハマるさ!」という猪木イズム、いや、前進プレスのお手本を示しています。
今季のJ2にも湘南や山形の「前進戦法」をフォローするチームが現れました。クラブ史上初のJ1昇格を狙うファジアーノ岡山です。開幕2連勝で迎えたセレッソ大阪戦でも存分に魅せてくれました。結果は1-1のドローでしたが、強豪相手に一歩も引かず、昇格争いに加わるだけの実力を印象づけています。とりわけ、目に焼きついたのが最後尾で3バックを束ねるベテランの岩政大樹選手の働きでしょうか。若々しいという表現を使いたくなるほどダイナミックでしたね。
走る、走る――。C大阪の攻撃陣に縦パスが入ると、物凄い勢いで「つぶし」にかかりました。それはもう、恐ろしいくらいに。常に『振り向けば、岩政』という状態ですね。日本のディフェンダーは一発でかわされるリスクを恐れてか、距離を置いて守る傾向にありますが、岩政選手は接近志向にして、狙った獲物はどこまでも追いかける粘着志向。後ろに引いて球を引き出そうとするフォワードにもしぶとく食らいつくので、相手はたまったものじゃないでしょう。
イタリアのディフェンダーが、こうですね。イタリアへ取材に行くたび、狙い定めた女性が落ちるまでストリートの端から端まで付いて行く「繁華街のカンナバーロ」を目の当たりにして、妙に納得したものです。ちなみに、イタリア語で「ボール」は女性名詞のようですが……。ともかく、この日の岩政選手は、獲物(ボール)に対して並々ならぬ執着心を見せておりました。その象徴的なシーンが、後半のアレですね。岩政、かりそめのストライカーへ変身の巻―――。
敵陣で球を奪い、味方へ預けると、勢いよくゴール前へ。ラストパスを引き出し、左足シュートを放った場面は、記憶のミュージアムに飾っておきたい代物ですね。ゴールこそなりませんでしたが、あそこで安易に後戻りしない心意気、冒険心に思わず拍手を送りました。今季の岡山は、パワフルな大駒として君臨する岩政選手に代表された「勇者の集まり」という気がします。
そう言えば、羽生さんとチェスで対戦したカスパロフさんが引き分けを選べる局面で、あえて勝負の一手を放ち、最終的に勝利をたぐり寄せていました。何やら羽生さんの名言どおりですね。運命は勇者に微笑む――。岡山はもちろん、すべてのJクラブに送りたい言葉でもあります。後戻りしない気質がポジティブ(勇敢)に転がるJリーグ。期待していますよ、第二、第三の岩政を!