冗談じゃないよ!
ラモス瑠偉監督(岐阜)じゃありません。怒り心頭だったのは仕事仲間でした。何でも、どこかの国の監督さんが、とんでもない発言をしていたとか。その内容がコレです。デ・ヘアは我々に勝ち点をもたらさない。なぜなら、彼はゴールキーパー(GK)だからだ―――。デ・ヘアとはマンチェスター・ユナイテッド(イングランド)所属の正GKですから、発言の主はオランダ人のルイス・ファンハール監督です。本当にそんなことを口にしたのか、真偽のほどは分かりませんが。
誰の発言であれ、GKを軽んじる内容に「冗談じゃない!」とGK経験者の後輩編集者が腹を立てていたわけです。過小評価されやすいんでしょうか、GKというのは。思えば世界年間最優秀選手賞(FIFAバロンドール)の歴代受賞者も、GKの選手は1963年のレフ・ヤシン(ソ連=当時)ただ一人ですね。当代随一の守護神マヌエル・ノイヤー(ドイツ/バイエルン・ミュンヘン)は昨年のブラジル・ワールドカップで優勝の立役者でしたが、ヤシン以来の受賞は幻に終わっています。
某サッカー専門誌で働いていた20年ほど前、編集部に散在する資料を読み漁っていた時に、あるブラジル人GKの悲劇的なエピソードに出くわしました。1950年ワールドカップで開催国ブラジルのGKを担ったモアシール・バルボーザのお話です。同大会の最終戦でウルグアイに2点を許し、ブラジルが優勝を逃したことから戦犯扱いされ、40年以上も「疫病神」として敬遠され続ける悲運の人でした。ブラジル代表の合宿地を訪問するたびに門前払いされていたそうです。
私はいつまで「無実の罪」を償わなければならないのか―――。
バルボーザが語ったとされる一文を読んで陰鬱な気分になりました。それから数年後、GKの存在がいかに大きいかを目の当たりにする機会に恵まれました。川口能活(現岐阜)という守護神の降臨を。1996年アトランタ五輪のブラジル戦、日本が虎の子の1点を守り抜いた『マイアミの奇跡』ですね。戦前、西野朗監督(現名古屋監督)は「ブラジルから点を取るイメージは持てる。ただし、彼らを無失点に抑えるイメージだけは、どうしても湧かない」と、こぼしていました。
まさに「神頼み」だったわけです。優れた守護神なくしてジャイアントキリングなし――でしょうか。チェルシー(イングランド)を率いる名将ジョゼ・モウリーニョはGKの値打ちをよく知る一人ですね。いわく「優秀なゴールキーパーがいると、シーズンの勝ち点が10ポイントから15ポイント違ってくる」と。1試合の最大勝ち点(勝利)が3ポイントだから、3~5勝分くらいの「上積み」があるというわけです。GKは勝ち点をもたらさないなんて、悪い冗談でしょう。
こんな具合に守護神談義に花を咲かせていたら、後輩編集者が勢いに乗って、こう口走ったのです。「凄かったですよ、きょうの彼は。Jリーグの試合で久々に見ましたね。ワールドクラスを!」。凄かった彼とは―――FC東京の権田修一選手です。横浜F・マリノスとのホーム開幕戦、守護神のいったい何がワールドクラスだったのか。後輩編集者によれば、二度のピンチを切り抜けた「神業」にあると。極め付きは54分。エリア内中央をフリーで抜け出したMF兵藤慎剛選手のシュートを右手ではじき出したシーンです。兵藤選手の球の置き所、振り足の鋭さ、低い弾道、狙ったコース、いずれも隙がなかったにも関わらず、権田選手は鮮やかに防ぎきりました。
「普通のGKなら重心が(左に)流れて反応できない。仮に重心が(中央に)残っていても兵藤選手の振り足が速いから反応するのは難しい。しかもコースは最も手が出しにくいところでした。三つの悪条件が重なりながら、それを全部クリアしてしまった。凄いですよ、あれは」(後輩編集者)
もっとも、兵藤選手が「決まった!」と思ったのはむしろ、55分の場面。エリア内でこれまた正面からゴール右へ狙いすました一発を放つも、再び守護神に阻まれてしまいました。試合後は「あれを止められたら、どうしようもないですね」と脱帽の体だったとか。結果、スコアは0-0。シュート数、わずか2本に終わったFC東京に貴重な勝ち点1が転がり込んだと言ってもよさそうです。平成生まれの選手に対して何ですが―――『神様・仏様・権田様』といったところでしょうか。
VIP席で大きなあくびをしていた日本代表のヴァヒド・ハリルホジッチ新監督、かなりお疲れのご様子でしたが、神の降臨だけは(?)しっかり見届けていたようです。試合後、報道陣に囲まれながら「権田様」のご活躍を称賛しておりました。ご利益があるかもしれませんね。みなさんも、近いうちに『権田詣で』はいかがですか? その際は両足で細かくリズムを刻み、敵のシュートに備える神ステップにご注目あれ! あなたの知らない世界がそこにあるはずです。