今年の春ごろ、私の手元に2冊の大きなスケッチブックが届けられた。表紙には「私のサッカーブック」と書かれている。今から21年前、Jリーグが開幕した1993年に小学校4年生だった西尾さやかちゃんが夏休みの宿題として作成した大作だ。金沢のご実家からツエーゲン金沢がJリーグ入りしたのを機にサッカーミュージアム宛に送られたものだ。内容は実に豊富で、単にJリーグにとどまらずFIFAワールドカップや世界のサッカーの歴史にまで及んでいる。
11月16日のJ3リーグ第32節、沖縄の地でツエーゲン金沢は初優勝を決めた。そして先週末の23日、ホームに凱旋しての最終節を迎えた。私は試合終了後の表彰プレゼンターとして金沢に赴いたのだが、「私のサッカーブック」のことがずっと心に引っかかっていたため、訪問に先立って金沢在住のさやかさんのお父様にコンタクトを取ってみた。「私のサッカーブック」を作成したさやかさんに会えないものかと相談させていただいたのだ。幸運なことに、さやかさんは金沢から1時間圏内にお住まいとのことで、その日に昼食をご一緒する機会をいただいた。
20年の歳月を経て、さやかさんは素敵な母親になっていた。金沢出身のさやかさんは、Jリーグ開幕当時、お父様の転勤の関係で秋田の小学校に通っていた。開幕当時の最北端のJクラブといえば鹿島アントラーズであり、秋田とJリーグの距離感はかなりのものがあった。しかし、さやかさんはお父様と車で12時間掛けて鹿島スタジアムまで観戦に訪れたそうだ。観戦した試合は、1993年7月10日の鹿島アントラーズ対サンフレッチェ広島。鹿島が、駒場スタジアムでの浦和レッズ戦を制してJリーグ初のステージ優勝を決めた直後のホームでの凱旋試合である。
それ以来、さやかさんの心の中にはずっとJリーグがあったという。大学時代は新潟で過ごしたのだが、アルビレックス新潟の躍進をずっと応援してきたのだという。もちろん、現在はツエーゲン金沢を温かく見守ってくれている。
この日、ツエーゲン金沢のホームスタジアムである石川県西部緑地公園陸上競技場で、私は終盤の局面をピッチサイドで見守っていた。セレモニーに備えてのことだ。ツエーゲン金沢のゴール裏近くにいたが、ゴール裏の風景を見て驚いた。最前列に陣取って真っ赤なツエーゲンのフラッグを勢いよく振っているのが、みな子供たちなのだ。私のスマートフォンで撮影した画像なのであまり鮮明ではないが、それでも最前列に陣取る子供たちのまっすぐな眼差しを見ていただけることだろう。
さやかさんがそうであったように、この日のゴール裏の子供たちの心の中にもJリーグの風景が残り続けてくれたら何よりだ。