凄い武器をひとつ持っているとさ、二つ目の武器が簡単に手に入るんだよ――。
ふと原(博実)さんのドヤ顔を思い出してしまった。原さんも今は日本サッカー協会の専務理事ですが、現役時代は『アジアの核弾頭』なんて物騒なニックネームを頂戴する名ストライカーでした。売り物はヘディング。利き足は「頭」と言っちゃってもいいくらいで。とにかく、空中戦に滅法強い人でした。そんな原さんがある時、冒頭のセリフを口にしたわけです。
みんな「原はヘディングだけ」って言うけど、ボレーシュートもうまかったんだぞ!
ボレーシュート? 初耳でしょうが、しばし原さんの言い分を――。クロスが入ってきた時、俺がジャンプするふりをすると、相手は競り負けたくないから慌てて跳ぶわけ。俺は跳ばずにクロスを胸でトラップして、その落ち際をボレーで叩く。これが結構、決まったんだよ。強力な武器がひとつでもあると、隠れた武器が使える。もちろん、ボレーの練習はしたけどね。
表と裏のギャップというヤツでしょうか。これにイチコロ(死語?)なのは男女の関係も同じかもしれませんが(知らないけど)。ピッチ上の高倉健と呼びたいくらい不器用だった(?)ストライカーの告白に、つい聞き入ってしまいました。もう随分と昔のことですが。なぜ、この話を思い出したかと言えば、開幕戦でやられたからです。例の「表と裏のギャップ」に――。
演じ手は中村憲剛です。川崎フロンターレのマエストロですね。チームのヘソとも言うべき中盤に構え、自在にタクトを振るう姿は「Jのお約束」でしょうか。今年35歳のベテランですが、数年前から「今が中村史上最高」というセリフを繰り返すほどの充実ぶりです。そんなマエストロがしばしばやるわけです、ギャップにイチコロを。横浜F・マリノスとの開幕戦でも見せてくれました。
味方を自在に走らせる――。サッカーにおけるマエストロのイメージでしょう。開幕戦でも球筋の豊富なパスで味方を縦横に動かし、フロンターレの攻撃をオーガナイズしておりました。そんなマエストロが突然、雷に打たれたように走り出したら……。もしかしてだけど、どいつもこいつも棒立ちなんじゃないの? はい、そういうことになっていました。F・マリノスの選手たちは。
フロンターレの3点目のシーンですね。中盤の深い位置にいたはずの憲剛がいつの間にか左サイドの深いエリアに進出。そこから味方のパスを促すようにするするとラインの裏へ抜け出し、その折り返しを、大久保嘉人がヘディングで合わせて、F・マリノスにトドメを刺しています。憲剛にボールを預けて、味方が裏へ走り抜ける――。そう思っちゃいますよね、普通は。
よく走るんです、中村憲剛という人は。近年、足元でボールを受けたがる選手たちが増えていますが、憲剛はここぞという場面でスペースに走り、ボールを受けるんです。その方が相手ディフェンスを攻略するのに、ずっと都合がいいですからね。最終ラインの裏に抜ければ、パス一本で崩せてしまう。俗に言うスルーパスですね。その卓越した「出し手」として名高い憲剛だからこそ「走る受け手」の値打ちもよく知っているわけです。
味方を走らせる表の顔と、自分を走らせる裏の顔――。この手のギャップを備えたマエストロは、そう多くはないんです。たいていは「人はボールより速く走れない」とか「ボールは汗をかかない。だからボールを走らせろ」みたいな呪文ばかり唱えているようで……。ギャップを生かすチャンスなんですが。自分、不器用ですから――ってことなんでしょうか? ま、そんなことはともかく、走るマエストロこと中村憲剛のギャップを堪能したいという方々は今週末、ぜひ等々力陸上競技場へ!