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コラム

Jリーグチェアマン 村井満の“アディショナルタイム”

2015/2/12 11:08

ドイツの大門さん(♯28)

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チェアマンである私にシーズンオフは無いのだが、少しの休暇を頂いた。今まで私は「ドイツの育成に学ぶ」とか、「ドイツのファイナンシャルフェアプレーが経営観のベース」などと偉そうに口では言ってきたものの、実は私はブンデスリーガの育成現場を直接見聞きしてきたわけではなかったし、クラブ経営者とドイツの地であれこれ議論した経験があるわけでもなかったのだ。人からの伝聞やメディアからの情報だけでは、正直どこか自分の中でも空々しいものを感じていたのだ。こうした理由でのドイツ訪問はとても業務と言えるものではないと考え、プライベートでの旅としてドイツに赴くことにした。渡独自体は実に多くの収穫があったのだけれど、このコラムではそんな私をドイツでサポートしてくれた3人の友人を3回に分けて紹介したい。彼らとの縁こそ私のかけがえのない財産となったのだから。

一人目は大門 学(だいもん まなぶ)さんだ。今回私の現地での視察のアレンジと通訳を引き受けてくれた方だ。

ドイツでの生活が16年になる大門さん。
ドイツでの生活が16年になる大門さん。

人には、時として卒業文集が人生を決めてしまうことがある。1980年生まれの大門さんは小学校1年生の時から地元愛媛県の松山市でサッカーを始めたのだが、中学生のときにJリーグが開幕する。大門さんは中学校の卒業文集に「Jリーガーになる」と書いた。しかし、地元の高校に進学するも半月板を痛めてしまい、高校選手権の予選にすら出場することができなかった。当然スカウトの目に留まるはずもない。しかし、夢を諦めない大門さんは高校を卒業すると19歳で単身ドイツに渡る決断をする。渡航先はフライブルグだったのだが、フライブルグは松山市の姉妹都市だったからで、「姉妹都市なら困ったときにも助けてくれるだろう」という淡い期待をもっての渡航だった。しかし、現地には日本人はほとんどおらず、苦労の連続だったという。午前中に語学学校に通った後、午後にはシューズを持って飛び込みで地元クラブを回り練習参加をお願いし続けた。幸いにも100年の歴史を持つ「フライブルガーFC」という6部のクラブへの参加が許された。しかし、集合時間が聞き取れず、試合会場に行ったら試合が終わっていたこともあったという。チームメイトがヒソヒソ話をしていると全て自分の悪口を言っているように聞こえたりもした。それでも頑張り屋の大門さんは、チームメイトよりも1時間早くクラブに行き、午前中に語学学校で学んだドイツ語を午後にホペイロ(用具係)と話してみて実践練習を重ねたのだ。そんな努力の甲斐あって2年間で監督と議論ができるまでに上達したという。

そんな彼は19歳から13年間プレーを続け32歳まで現役として活躍することができた。在籍したクラブは5部から7部まで(フライブルグには12部までクラブがある)を行き来することになる。なんとトップリーグではなくても移籍や移籍金も存在するそうだ。新たな移籍の時はニュースとして新聞にも出るし、活躍すると顔写真付きで特集も組まれるという。彼はフライブルグでベストイレブンにも選ばれた。アマチュアでも地元のヒーローになれるのだという。今では街で声をかけられるくらい友達も増えたという。街は地元のクラブを大切にしているのだ。

彼の夢だったJリーグ入りに一番近づいたのは柏レイソルの練習生に参加した時。しかし、その夢は結局かなうことはなかった。プロにまで昇り詰める選手は「平均点以外に特別な何かがある」のだという。

彼は引退と同じタイミングでドイツの地で日本語を学んでいるロシア系のイスラエル国籍の女性と恋に落ちて結婚をし、お嬢さんにも恵まれ幸せな家庭を築いている。そして現在は女子1部ブンデスリーガのSC FreiburgのU21コーチをしている。頑張り屋の大門さんは日本食レストランの経営再建も依頼され見事に再建を果たしている。そんな意外な一面もあるのだ。

彼の新たな夢は、日本とドイツのサッカー界の橋渡しとなること。そしていつしか故郷愛媛のサッカー界のために尽くすことだそうだ。彼の足跡を見ればわかるが、きっと彼ならその夢を実現するだろう。

彼はフランクフルト対ヴォルフスブルク戦、1FCケルン対シュトゥットガルト戦、シャルケ04対ボルシア・メンヒェングラートバッハ戦の観戦をアレンジしてくれた。その試合では長谷部誠選手、乾貴士選手、大迫勇也選手、内田篤人選手らが素晴らしいプレーを見せてくれた。またボルシアドルトムントの練習施設を案内してくれた際には香川真司選手との対面もアレンジしてくれた。そうした機会そのものは私にとって身に余る光栄なものなのだが、何よりも、行く道々での彼との会話が私にとって貴重なものとなった。彼の苦労話が理解できたからこそ、現役の日本人ブンデスリーガーの苦労や成長もリアルに感じることができたのだ。

大門さんの16年に及ぶドイツサッカー人生、それこそが私にとってのドイツサッカーそのものとして刻まれたのだ。