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コラム

百年構想のある風景

2015/1/30 10:00

ああ高校サッカー

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1968年に土佐中サッカー部に入部した2年後、初めて全国中学サッカー大会が開催された。このとき、東日本大震災で大きな被害に遭った岩手県にある大槌中が3位と活躍したことを覚えている。その後1976年、大阪で生まれた高校サッカーも、時代を追って東京へ出て行った。その頃はまだ、南四国予選を勝ち抜かないと全国大会に進めなかったため、隣の徳島勢の様子を気にしていた高知勢だったが、1984年一県一校スタイルに変わってからは、四国を意識する理由はなくなった。 今年1月2日、埼玉スタジアム2002でピッチに躍る後輩たちの勇姿に惜しみない声援と拍手を送っている自分がいた。土佐高サッカー部は、我が人生の原点である。当時は、"全力疾走"で一世を風靡した名門野球部の片隅で、外野に飛ぶ打球を避けながら、暗くなるまでボールを蹴ったものだ。

2000年に念願の高校選手権初出場を果たすまで、半世紀の長い道のりだった。ドイツ駐在のため、残念ながら競技場に足を運んで応援できず、はるか欧州から初勝利をただ祈ったが、甲斐なく仙台育英高に2-7と大敗。今回は、前年のインターハイに初出場した勢いがある。老いも若きも、ブラスバンド部の演奏に合わせ校歌や応援歌に声を張り上げたが、優勝候補の青森山田高に0-3と敗れ、またしても初戦突破はお預けとなった。 タイムアップの笛とともに、あの高校サッカーのテーマソングが脳裏をよぎる。「青春の証明とスポーツの感傷を歌い、去りゆく敗者を称えるために」という作詞家の故阿久悠氏の思いが心に染みた。地元にまだJリーグがない土佐人にとって、高校サッカーは、束の間のJリーグ気分なのかもしれない。

埼スタを後にして、一駅戻った駅前にある居酒屋の座敷を借り切って、73歳の大先輩を筆頭に同窓生約70名が、来年の祝勝会を名目にして大いに飲んだ。わずか10分で店の瓶ビールはすべて栓が開き、ビール用のコップを手に熱燗の徳利を次々と横倒しにしていく様に驚いた店員たちが、相手を土佐人だと知り二度と土佐人相手に飲み放題プランを提供するまいと後悔する面持ちを見ておかしくなった。 J2の徳島ヴォルティスと愛媛FC、準加盟のカマタマーレ讃岐に囲まれても、高知県だけがという四国を意識する悲壮感は感じられない。どのスポーツも、出身高校別にシニアまでチームがあり、大人になっても高校対抗戦をひたすら楽しんでいる。 万事が時間とともに移ろいゆけども、高校サッカーに束の間の"Homeのある風景"があるかぎり、この44年の歳月は、色あせない時間である。