先週はチェアマンに就任後二度目のタイ訪問だった。今年、タイのプロリーグで活躍する日本人選手は68名を記録した。そのほか日本人監督、コーチがそれぞれ5名ずつ、クラブスタッフは3名に及ぶ。そうした深いつながりもあって、今回はタイ・プレミアリーグ(日本のJ1にあたる)とJリーグの合同セミナーが開催されたのだ。
こうした選手・指導者やリーグ間の交流内容は実に幅広い。写真にあるのは、タイにあるミャンマー難民キャンプでのひとコマ。「ウンピアム難民キャンプ サッカーフェスティバル」と題したこのイベントは、公益社団法人 シャンティ国際ボランティア会メーソット事務所が主催で、在タイ日本大使館とJリーグの後援で実施された。かつてジュビロ磐田でもプレーしたバンコク在住の本田慎之介氏(CREER FC コーチ)を招待し、難民キャンプの子どもたちへのサッカー教室やサッカー絵本の読み聞かせを行った。写真を見るだけでどれだけサッカーが子供たちを夢中にさせるのかよくわかる。サッカーは瞬時に子供たちを虜(とりこ)にしてしまう魅力があるようだ。
今回、タイを訪問して強く感じたことがある。それは、諸外国に対して「日本サッカーが貢献する」という文脈だけでなく、諸外国との縁は「日本サッカーを強くする」チャンスでもあると知ったということだ。
J2・カターレ富山からタイ・プレミアリーグのブリーラム・ユナイテッドFCへ移籍し、活躍が認められて今夏にセレッソ大阪に凱旋移籍したのは平野甲斐選手。彼はブリーラム所属中の2013年に「プレミアリーグ」、「タイFAカップ」、「タイ・リーグカップ」、「コー・ロイヤルカップ」の4冠獲得に貢献した。彼がブリーラムに移籍した理由は、「国際経験を積んで自分を成長させたい」ということ。実際、移籍後にAFCチャンピオンズリーグ(ACL)のプレーオフを勝ち抜き、ACLの舞台でベガルタ仙台とも戦った。日本人選手がACLに出場して大きく成長する機会は、日本のクラブでなくても可能なのだ。
タイにおいて、80名を超える日本人選手の兄貴分として存在するのが丸山良明さん。横浜F・マリノスを経てアルビレックス新潟でJ1昇格に貢献し、ベガルタ仙台、AC長野パルセイロでプレーした後、2009年にタイの強豪チョンブリFCに移籍した。給料未払いが8か月あるなど色々厳しいこともあったようだが、タイサッカーの可能性を感じた彼は、日本でトライアウト(自由契約選手を対象とした合同選考会)などが開催されるタイミングには、日本に帰国して選手たちにタイ・プレミアリーグの魅力などを、資料を作って説明をしたそうだ。そうした努力が今日のような日本人選手が増えるきっかけとなったのだろう。実際、彼の働きかけで40名近くの日本人プレーヤーがタイに挑戦し、21名が契約をする年もあった。丸山さんは現在、ランシットFCの監督に就任している。この日は、丸山さんらと夕飯を共にした。彼曰く、言語も文化も違う異国の地で選手を指導する時こそ真の監督の手腕が問われるとのことだ。タイにおいては多くの場合、試合で負けが込んでくると選手たちは監督の話を聞かなくなるそうだ。出場機会が減った選手も同様だという。そうした選手たちを振り向かせ、監督の方針を腹落ちさせるためには何度も膝詰めで語り合い、方針を徹底していくしかなく、まさに人間力そのものが問われる真剣勝負の場となるそうだ。海外は選手だけでなく、指導者を育てる格好の道場でもある。選手の海外移籍は日常的な風景となった今、指導者の海外移籍を本格化していけたらと丸山さんと話をしていて強く思った。彼は、冒頭に書いたタイの難民キャンプの指導にも2012年、2013年に参加してくれている。
食事会の最後に皆の前で丸山さんの思いを語ってもらった。彼の夢はタイ代表監督になって日本代表を倒すこと。そうなることで、日本がさらに進化する状況をつくり出すことになるからだと言う言葉に強い意志を感じた。苦労人だが、日本とタイとサッカーを愛する人間味あふれる指導者である。彼のように国際経験を持つ指導者が増えれば、日本サッカー界の未来も明るいはずだ。