Jリーグを愛する皆様 チェアマンの村井満です。
今から30年近く前の1985年、筑波で科学万博が開催された。結婚したての私は、仕事の要領も悪く残業に明け暮れる25歳。時間を持て余した身重の妻は姉と二人で筑波万博に出かけていた。
郵政省のパビリオンには「ポストカプセル2001」というコーナーがあったという。その場で葉書を投函すると16年後の21世紀最初の元旦に配達されるという企画だ。妻は16年も先では私と離婚しているかもしれないと考え、その手紙を私の実家宛てに投函した。
そして16年後。幸いにも、実家で妻と21世紀の幕開けを祝っていたところに届けられた年賀状の束の中に、その1通は入っていた。
その葉書は「まだ見ぬ子供へ」というタイトルで「高校受験頑張っていますか?」と妻の筆跡で走り書きのように書かれている。投函したこと自体忘れていた妻も、その葉書の真意を理解するのに少し時間がかかったようだ。その時、私はすでに40歳を越えていた。仕事や家庭を顧みる余裕も無く、現実に追われ夢を見ることも忘れていた私にとってはとても重い1通となった。
数多くのドラマが「21世紀への手紙~ポストカプセル328万通のはるかな旅(文芸春秋)」に紹介されているが、2001年の元旦は日本のあらゆる場所で静かな感動が広がったのではないかというのは想像に難くない。親孝行できぬままに亡くなった親からの手紙、白血病で亡くなった4歳の息子からの手紙、生き別れた恋人からの手紙・・・、平凡な人生の中にも、長い歳月は誰にでも多くの物語を紡ぎだすものだ。
Jリーグが始まってちょうど今日(2014年5月15日)で21年の歳月が経過した。1993年5月15日に初代・川淵三郎チェアマンが、国立競技場で「スポーツを愛する多くのファンの皆様に支えられまして、Jリーグはきょうここに大きな夢の実現に向かってその第一歩を踏み出します。」と宣言して以来、今日までに延べ1億4,000万人以上(2014年5月12日時点)の方々がスタジアムを訪れた。親子で、恋人と、親友と、お孫さんと、ふるさとの幼なじみと。
ピッチの周辺では一体どれだけの縁が紡がれたことだろう。そして試合の前後にはどれだけのドラマがあったことだろう。私自身もサッカーを通じて数多くの縁を頂いている。サッカーがあったからこそ、出会えた仲間は数え切れないし、昨年までは、サッカーを職業にするなどとは想像すらできなかった。
サッカーを中心としたスポーツや文化活動、地域活動が育んでくれた縁を少しずつでも紐解いていければと考え、このコラム「アディショナルタイム」を書いていこうと思う。当面は不定期で思うままに私の出会い、そしてその出会いを通じて感じたことを書いていきたい。よろしくお付き合い下さい。