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【J2日記】F東京:山本洋平 地域担当・機微を読む男(11.08.15)

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F東京の練習場がある小平グランドには「コンニチハ」の後に、続く言葉があった。
「“ヨウヘイ”知らない?」
「すいません、“ヨウヘイさん”見ましたか?」
「ここ、“ヨウヘイ”通りましたか?」
たいてい、その返事をするかしないかぐらいで、携帯電話を片側の耳に当てて件の人物が練習グランドから歩いてくる。「アア」と指を差すと、こちらに気づいて笑顔で手を振っている。それが、小平の日常と呼べる風景だった。
その“ヨウヘイさん”こと山本洋平は、9年間に渡ってF東京の広報業務を担当してきた。テレビマンの経歴を生かして若い選手への取材のアドバイスをしたり、チームとともに泣いたり笑ったりを繰り返す日々を過ごしてきた。

「どんどん取材してよ」「どうやったら選手が映えるかな」と話す男が、取材を一方的に断ち切ったことがあった。2005年J1リーグ第24節・横浜FM戦。日産スタジアムで、ジャーンと接触したルーカスが頭を強打するアクシデントが起こった。ピッチ脇まで救急車が入ってくると、ルーカスはそのまま病院に搬送されていった。試合後、ジャーンはひどく落ち込み、動揺を隠せずにいた。うつむいてミックスゾーンに現れたジャーンに、カメラとレコーダーが向けられた。山本はそこに割って入ると、それを遠ざけてジャーンを移動車に先導した。
「若かったと言っても、それは広報としてはあってはいけない行動だと思う」と反省する。ただ、選手の心情を大切にしてきた彼だから取ってしまった行動だと僕は思う。

山本と顔を合わせると、毎日のように第一声は同じトーンで同じことを聞かれた。
「ちょっと疲れてるよね?」
そして、反応に合わせて違う答えが返ってきた。それは、選手に対しても同じだった。同じ調子、同じ言葉を毎日のように投げ掛けていた。
「ナオ(石川)、今日も爽やかだね」
「ソウタ(平山)、今日もカッコイイね」
「ヨウヘイ(大竹)、最近調子良いじゃん」
わずかな違いはあっても、始まりの一言はだいたい同じ声を掛けた。はじめは、それが不思議で仕方がなかった。でも付き合っていくと、そうやって選手の機微に触れていることがわかる。表面からは知りにくい微妙な変化や、心の動きを読み取るように努めていた。悩んでいたり調子が悪かったりすると、選手の反応は変わってくる。もちろんユニフォームを脱げば、選手も人だ。日によって、コンディションが違って当然だ。「選手の機微を読まなければいけない。それは9年間、僕が一番気をつけてきたことだった」と話す。分け隔てなく、誰とでも話した。ブラジル人選手が、通訳の次にアミーゴになるのは決まって山本だった。時には、長時間に渡って選手の話を聞くこともあった。だからなのか「今日、○○が活躍すると思うんだ」と山本が言うと、不思議とその選手が活躍した。

そして、今夏、広報から地域担当への異動が決まり、クラブハウスのある小平グランドから、味の素スタジアムへと勤務先も移った。しばらくは日課だった“ヨウヘイさん”の捜索をしないでいいらしい。
山本は9年間を振り返ると、「たくさんの思い出がある」と言った。中でも思い出深いのが、2度のヤマザキナビスコカップ制覇だった。F東京は、2004年11月3日、悲願の初タイトルを奪った。選手だけでなく、もちろんスタッフにとっても、すべてが初めての経験だった。国立競技場は、青赤の祝祭となっていた。選手とサポーターが一つとなって、優勝の喜びを分かち合った。その裏側では、味スタでの優勝報告会や、優勝記念グッズの準備など、スタッフは慌しく作業を進めていた。「あの頃は、まだ広報担当としても駆け出しだった。試合後の取材やらセレモニーの準備やらで、感傷に浸る時間も余裕もなかった」と、振り返る。
「でもね」と言う。5年後の同じ日、同じ場所で味わった歓喜は、ホッコリとあったまる言葉によって彩られている。試合後、山本の電話は慌しく鳴り続けた。報告会のカメラの配置や選手の立ち位置など、事前に打ち合わせを重ねてきた業務の確認に追われていた。そして、頭の中では取材の段取りを何度もシュミレーションして、「大丈夫」と自分に言い聞かせていた。
その最中だった。「ヨウヘイ、おめでとう」と、優しい笑顔で近づいてくる人がいた。5年前、F東京を率いてクラブに初タイトルをもたらした、原博実・元監督だった。一礼して両手で握手を交わすと、そこに短い言葉が続いた。不意をつかれたそのフレーズが、忙しさを忘れてグッと刺さった。
「国立のバックヤードで試合後、たまたま原さんとお会いして声を掛けてもらった。そしたら、原さんから『ヨウヘイ良かったな、お前もずっと頑張ってきたからな。長いことやってきて、こうやって報われてホント良かったな』って。試合が終わってからも、周りには泣くわけないよって言ってたのに、もうその時ばかりは、どっと出た。もちろん、すぐにいけない、いけないって気持ちを切り替えたけど…うれしかったな」
原もまた監督時代、選手やスタッフの機微に触れることを大切にした指導者だった。頑張ってきた広報担当にねぎらいの言葉を掛けたくなったのだろう。

7月24日、国立競技場での第22節・熊本戦。それが、山本が広報担当として迎える最後のゲームとなった。山本は試合前から「ルーコンが活躍すると思うよ」と言っていた。
ルーカスは試合前日、小平グランドの駐車場で腕を伸ばして両手を腰の前で広げた。「ワタシ、戻ってきたのに、アナタ、何でいなくなるの? どうして? 寂しいよ」。山本は辞めるわけじゃないと伝えると、ルーカスは約束だと言って「わかった、明日、ワタシはアナタのためにゴールを決める」と話したという。
翌日の試合記録、得点者の欄にはルーカスの名前が載った。あまりに出来すぎた話だが、これが事実だからサッカーは素敵だ。試合終了間際の87分、梶山陽平からの浮き球のパスに抜け出すと、トラップからシュートまで一切無駄のない得点を奪って見せた(ゴールの動画はこちら)。F東京復帰後初ゴールに、国立に集まったサポーターは沸き立った。試合後のヒーローインタビューを終えると、ルーカスと山本はサポーターの元へと一緒に駆けていった。ルーカスが耳打ちする。
「約束守ったよ」

9年前、「クラブの仕事に関わりたい」と、右も左もわからないまま飛び込んできた世界だった。フットボールの世界、楽しいことばかりじゃない。昨年12月4日は、忘れられない日となった。西京極でJ2への降格が決まった瞬間、選手たちはバタバタとその場で倒れていた。山本は、それをスタンドで見守った。試合直後からF東京サポーターが連呼し続けた、「自分を信じていれば、勝利はついてくる」という鳴り止まないフレーズが耳に残る。「選手だけじゃなく、僕たちも下を向いている場合じゃない」。隣にいた浅利悟とは「この降格をきっかけに、F東京は変わらなきゃいけない。この悔しい出来事を逆にチャンスにしなきゃいけない」と、言葉を交わした。山本は現在、地域担当として「まだまだわからないことも多いけど、頑張るしかないよ」と言い、F東京の一員として汗を流している。きっと、「ちょっと疲れてるよね?」と、またどこかで誰かに声を掛けている。

以上

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2011.08.15 Reported by 馬場康平
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